桜

わたしは、桜が大好きだ。少しずつ芽が開いていくのを見ていると、なぜか落ちつかなくなる。
満開のときの美しさは、こころが開いていくような喜びを覚えるほどだ。
一番好きなのは、桜の花が散る時だ。<はかなさ>を感じるからかもしれない。
西行のことがいつも頭に浮かぶ。西行が好きだから。

西行は、いつまでも届かないひとだ。第一、彼の言葉が殆ど残っていない。
事実なのか、伝説なのかわからない。<漂白の歌人>とも呼ばれるが、そう簡単ではない。
彼は、北面の武士(当時のエリートだ。)妻も子供もいた。
しかし23歳のときに、突然出家する。
エリートとしての人生を捨てるとは、よほどの覚悟だったと思う。
いくつかの説がある。親友の死を儚んでとか、
以前から出家したいという願望が強かった。高貴な女性と恋に落ちたとか。
様々な説がある。全てが、関係したのかも知れない。

出家した彼は、様々なところへ旅をする。色々な寺で修行をする。
真言宗だ。空海の思想を突き詰めていたのか。
旅と言っても、当時は歩くしか方法はない。夜は、危険で歩けない。
近くの寺に泊まったのだろう。お金もなかったろう。
よほどの体力と命を賭ける意志が必要だったと思う。それが当時の旅だ。
保元・平治の乱もあった。洪水や飢饉で、飢餓で死ぬひとを目の辺りにした。
戦乱で殺された武士の屍もいやというほど見た。
生きているなかで、平家が滅亡し、源氏の世の中にもなっていく。栄枯盛衰も体験していた。
草庵の冬は、凍える寒さも修行だと思う。想像を絶していただろう。
彼は、寺や草庵にも長くいたが、旅をすることも修行ではなかったのか。

彼は230もの桜の歌を歌っているほど、桜数寄でもあった。
桜が持つ、芽が開き、あでやかに咲いたかと思う瞬間、散り桜になる、
せいぜい十日間のなかに、仏教の<無常観>そのものを感じていたのではないか。
それは一瞬の美。<はかなさ><もののあわれ>を感じたのだろう。
桜に<生老病死>そのものを見ていたのか。全てのものは変化する。
変わらないものなどない。生れたものは、必ず終わりを迎える。
それを自覚した上で、<宗教者>としてどう生きるかと突き詰めていたのだろう。

そして、彼は、その時点での境地を歌として表現したのだと思う。
彼を知りたければ、全ては歌のなかに彼の境地が見えるはずなのだ。
桜の歌は、晩年に傑作が多いといわれている。
歌を作ること、そのものが修行なのだ。時を経るごとに、こころのなかのものを、
そぎ落としていったのではないか、残った言葉だけが、歌として生れたのだろう。

彼の願いは、この歌にあった。
●ねがはくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
73歳の3月30日ころに、願い通りに亡くなっている。

●花みれば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける
桜を見ていると、こころが苦しくなるのだ。それほど桜を愛していた西行。

わたしの好きな歌を紹介したい。感じて欲しい。それでいい。

●心から心にものを思はせて 身を苦しむるわが身なりけり

●逢ふまでの命もがなと思ひしは 悔しかりけるわが心かな

●春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり

●愛ほしさやさらにこころの幼なびて 魂切られるる恋もするかな

●惑ひきて悟り得べくもなかりつる 心を知るは心なりけり

こころを知るのは、こころなのだ。
彼は、じぶんを見つめ続けた。西行は、どのくらいの境地までいったのだろう。
わたしはどうか。煩悩の海にいる。ときどき、溺れそうになるけどね。

「わからないままで、終わってしまうかも知れない。それでも本望だと私は思っている。
わからないことがわかっただけでも、人生は生きてみるに足ると信じているからだ。」
白州正子 「西行」より

白州さんの言葉に、救われたような気がした。
わたしは、行けるところまで行きたい。いずれ、わたしも旅に出るだろう。