師匠・セイ小先生との思い出
ある時、関西の
登川流関西支部の公演に招かれ、私は兵庫県尼崎市のアルカイックホール
の舞台に出演することになりました。
当時の関西支部の伊礼先生から
「登川先生の歌以外は歌うな」
と指示を受けていました。
そこで私が選んだ曲が、師匠、登川誠仁
先生の歌 「戦後の嘆き」 でした。
ところがこの歌は、実は登川先生が
弟子の誰にも舞台では歌わせないようにしていた曲だったのです。
もちろん、その時の私はそんなことは知りません。
本番前、楽屋で稽古をしていると、、
登川先生が来られて言いました。
「お前は何でこの歌ばかり歌っているのか?
この歌は歌うな。
突然怒られて、私はびっくりしました。
思わず私は言いました。
「え?シンシーよ、今日の舞台でこの歌を歌うんだけど…」
すると先生は少し間をおいて、
「お前はこの歌を歌うのか?
そしたら最初から歌ってみなさい
そう言われ、私はその場で歌いました。
先生は腕を組み、目を閉じてじっと聞いていました。
歌い終わると先生は一言、
「オーケイ上等。
歌って来なさい。」
そう言ってくれました。
そして本番。
私が舞台で「戦後の嘆き」を歌い始めると、登川先生は楽屋のスピーカーの下に立ち、目を閉じて聞いておられたそうです。
歌い終わった後、先生はうなずきながらこう言っていたと聞きました。
「りきとーん、出来てる。」
舞台を終えて楽屋へ戻る途中、先生の息子の仁から言われました。
「金城先生、この歌よく歌いましたね。
この歌は、オヤジが誰にも歌わせないと封印していた歌ですよ。
その時初めて、私はそのことを知りました。
あの時の出来事は、今でも忘れることができません。
師匠の前で歌い、認めて頂いたあの瞬間は、私にとって三線人生の大きな宝物です。
今日3月19日は師匠の命日です。セイ小先生への恩は、登川流を死ぬまで続ける事!
それが1番の恩返しだと思っています。
金城安紀
