先日、元弟子からこんな言葉を聞きました。


「沖縄の民謡を勉強しなくても全く困らない」

「自分の生徒は沖縄民謡を習わなくても大丈夫だ」


その言葉を聞いた瞬間、

怒りより先に込み上げてきたのは、

情けなさと、深い悲しみでした。




三線は、ただの楽器ではありません。


沖縄の歴史、祈り、暮らし、

苦しみや喜び

それらすべてを唄として受け継いできた

文化そのものです。




沖縄民謡を学ばずして、

三線を語れるでしょうか。


唄を知らずして、

弦を弾く意味が分かるでしょうか。




三線を教えて飯が食える。


それは決して当たり前のことではありません。


名も残らぬ多くの先人たちが、

命を削り、唄を守り、

必死に繋いできたからこそ、

今の私たちはこの場所に立てています。




沖縄民謡を軽んじるということは、

その土台そのものを踏みつける行為です。


形だけを真似し、

中身を捨ててしまえば、

それはもう沖縄の三線ではありません。




私は、

技術だけを教えてきたつもりはありません。


三線の音の奥にある

「心」

「覚悟」

「生き方」


それを伝えることが、

師としての役目だと思ってきました。




もし、

「沖縄民謡は必要ない」

そう言うのであれば、


それは私の教えとは違う道です。


私はその考えを

認めることは出来ません。




三線は軽くない。

沖縄民謡は、

都合よく切り捨てていいものではない。




この文化を背負う覚悟がある者だけが、

三線を語り、

人に教える資格がある。


私は、そう信じています。


偉大な私の師匠もあの世で怒ってますよ、