深夜映画「リーインカーネーション」マーゴット・キダー | TO NI LAND 

 

映画「リーインカーネーション」

を観た。

 

 

 

 

中学生の頃に、

 

映画「レッスンC」や

映画「ある日どこかで」

などと同様に、

 

テレビの深夜放送で

初めて観て、

 

 

マインドコントロールされそうな、

 

ジェリー・ゴールドスミス

のテーマ曲に、

 

どっぷりと浸りつつ、

 

 

輪廻転生を信じる

多感な年頃の私が、

 

深夜に観るには

ショッキングな内容で、

 

 

娘役のジェニファー・オニールとは

実際は同じ年齢なのに、

 

母親役を演じた

マーゴット・キダーの、

 

下手な老けメイクに、

 

違和感を持ったのを

覚えている。

 

 

 

結果、

 

老けメイクを

ものともしない若さを持つ、

 

マーゴット・キダーに

私は好感を抱いたようで、

 

 

10年ほど前に、

 

たまたま、ある件に関しての

彼女の論説を読んだ時、

 

 

何の不信感も持たなかったのは、

 

その時の記憶が

あったからかも知れない。

 

 

 

 

ストーリー的には、

 

“ロイス・レインから

殴り殺されるには、

どんな悪態が必要か?”

 

という問題が

冒頭で示されたのち、

 

 

現在や過去に散在するピースが

次々に組合わさって、

 

ジグソーパズルが

完成するかのような

明快さで話が進み、

 

 

確かに、こりゃ酷いと頷ける、

 

解答も用意されていて

わかりやすく、

 

 

誰に主眼を置くかによって

解釈が変わってしまう、

 

目まぐるしい

ラストの展開などは、

 

 

深夜映画らしからぬ

緊張感があって、

 

素晴らしい出来だが、

 

 

つい最近、私的な祭りで、

 

映画「今のままでいて」

を観た私としては尚更、

 

はなはだ、

 

腑に落ちない点があったのは

残念だった。

 

 

 

 

 

ピーターを空き家の中へ

案内する娘が、

 

 

映画「アメリカン・グラフィティ」で、

 

ハリソン・フォード

の彼女役を演じた、

 

デブラリー・スコットであり、

 

 

私の中での深夜映画

繋がりなのが愉快で、

 

 

 

劇中での“ピーター・パイパー”

の引用に、

 

 

中学生の頃、聴いていた

 

「咲坂と桃内の

ごきげんいかが1・2・3」

を懐かしく思い出して、

 

 

映画「ラブリーボーン」の

スージー・サーモンと、

 

ピータープラウドとでは、

 

どちらがストレスが

大きいだろうか?

 

などと考えたりし、

 

 

ふと、

 

テーマである

輪廻転生を

今や私は信じておらず、

 

 

もっぱら

映画「ビフォア・サンライズ」や

映画「ウェイキング・ライフ」で、

 

“魂の再生”

について論じる

イーサン・ホークに同調する、

 

 

冷めたオヤジに

成り果てているのを再認識し、

 

 

12歳の頃のような気持ちを、

 

二度と持つことはないのが

寂しかった。

 

 

 

 

 

 

私の場合は、

 

 

当時、

 

松任谷由実のアルバム

『REINCARNATION』と、

 

 

サザンオールスターズ

のアルバム『綺麗』の、

 

シャクヤクの写真を、

 

 

頭の中で混同してしまった

せいだと思われるのだが、

 

 

 

“リーインカーネーション”

という言葉を、

 

初めて見聞きした時、

 

 

カーネーションの花の一種?

と思ったのは、

 

 

私だけなのだろうか。