映画「クイック&デッド」を観た。
“細身のシュワルツェネッガー”こと
ガイ・ピアーズに、
完全に筆を奪われてしまったが、
話を本線のラッセル・クロウに戻して、
過去記事でも触れた、
“忘れがたい牧師姿”の確認のため
再見したのは言うまでもなく、
まず語るべきは、
当時の“売れる女優”
シャロン・ストーンが、
西部劇の主人公を務めながら、
早々に製作側にも関わっていて、
“絶対、損はさせへんから!”と、
映画会社に泣きついたかどうかは
定かではないが、
まだ無名で荒削りなうえ
芝居も顔立ちも強烈な、
ラッセル・クロウを
オーストラリアから呼び寄せ、
さらに、まだ“少年枠”の、
明らかに別次元の輝きを放つ
レオナルド・ディカプリオを加え、
そして、もう完成しきった悪の権化
ジーン・ハックマンを、
“早撃ち大会”という、
どこか「ディア・ハンター」の
あの一場面を思い起こさせる、
冷酷なルールの中に
放り込むことで生まれた、
この映画の外形的異様さであり、
まだ名もない怪物二人を、
完成形の怪物に食わせた映画
といった趣もあって、
顔ぶれだけを眺めると、
一見、あの、
「ワンス・アポン・ア・タイム・
イン・ハリウッド」の猪鹿蝶──
アル・パチーノ、ブラッド・ピット、
ディカプリオのトリオを
思わせるようだが、
そこにあるのは、
ジーン・ハックマンという
完成形の悪役と、
まだ名もない二人、
ただそれだけで、
けれど観返すと、
いやこれ、あの猪鹿蝶に匹敵する
迫力じゃないか?
と、つい唸ってしまい、
その混乱に紛れて、
ディカプリオには不意打ちのキスを、
ラッセル・クロウには
容赦のないラブシーンを用意し、
まるで最初から織り込み済み
だったかのように、
シャロン・ストーンが
演じ切っているあたり、
「氷の微笑」や「カジノ」で見せた、
あの“抜け目のなさ”が
ふと顔を出しており、
そんな中、
今作のラッセル・クロウはと言うと、
クリストファー・ランバート級の
“ガチ目線”を放ち、
“ワォー”と叫びたくなるほどの
イケメンな瞬間もあるのに、
妙な牧師姿には胡散臭さを覚え、
胡散臭さを覚えたのは
私だけではないようで、
町中の皆から、
石ころやら、玉子やら、
馬の糞やらを投げつけられても、
そこは平然としているくせに、
マッチの火種に自分の髭が
使われた途端、激しく動揺し、
喉カラカラで水の入ったコップを倒すと
本気で打ちひしがれ、
雨に救われて大喜びで
雨水をがぶ飲みするという、
感情の出方そのものが、
いちいちやたらと荒削りで、
他のキャストは真剣に
早撃ち大会をやっているのに、
彼だけが“天然ボケ担当”のような
空気を帯びていて、
観ている側に、
一人だけ別次元で遊んでる感を
与えている──
そんな、無邪気さと野性味が
同居した姿に大いに笑えつつも、
“まだ何者でもないのに
もう目が離せない”という、
奇妙な引力だけが強く残り、
それは、同じくこの世界に
放り込まれていた、
レオナルド・ディカプリオにも
通じるもので、
やがて無名ではなくなった二人が
再び顔を合わせることになる、
「ワールド・オブ・ライズ」で、
ディカプリオに、“デブのクソ野郎”
呼ばわりされたクロウが、
“10年前ならぶちのめしていたぞ”
と応じた、あの一言は、
どこかで本作の時間を、
ふと思い返していたのではないか
という気がした。
「タイタニック」はおろか、
まだ「ロミオ+ジュリエット」で
どんちゃん騒ぎをする前の、
レオナルド・ディカプリオは、
嘘のように、少年の輪郭を残していて、
デ・ニーロやジョニー・デップに
身を預けていた、
「ボーイズ・ライフ」や
「ギルバート・グレイプ」の延長線上に、
そのまま立っているようにも見えて、
どこか「トイ・ストーリー」の
ウッディを思わせる、
吹けば飛ぶような
その華奢な佇まいは、
早撃ちがどうこうと比べられる段階にすら
まだ立っておらず、
かたや、
彼の姿がそこにあるというだけで、
観る側の中にはいつの間にか、
“ここにはもう救いはない”
という前提が置かれてしまう、
あの保安官の原型を
そのまま引き受けるかのように、
ジーン・ハックマンが、
この世界のボスとしてそこに立っており、
しかも、
ディカプリオ演じるキッドにとって
父であるという時点で、
その勝負はもはや
始まってすらいないように見え、
せめて、ディカプリオがキッドではなく、
「ワンス・アポン・ア・タイム・
イン・ハリウッド」の
あのガンマン程度のタイミングでなら、
まだ、対等にジーン・ハックマンと
言葉を交わせたのでは?
などと考えてしまい、
そんな歪んだ親子とラッセル・クロウ
によるスリーショットは、
今となっては、妙に出来すぎた
取り合わせにも見えるが、
そこで立ち上がっている芝居の構図が、
トラヴィスを前に銃を売り付ける
「タクシードライバー」の、
あの一場面を
不意に呼び覚ましてしまうのが、
なんとも奇妙で、
まるで、銃に興味津々なクロウの背後に、
デニーロの残像が
差し込んでくるようでもあり、
ふと、気づけばこの作品には、
時代も文脈も異なる顔ぶれが
不思議な均衡で並んでいて、
たとえば冒頭で登場するドグは、
いかにもサム・ライミ的な加工が
施されてはいるものの、
顔立ちをよく見ると、
そこにいるのはトビン・ベルで、
後年、あの“ジグソウ”として
記憶されることになる人物であり、
あるいは、
やはり、かなりサム・ライミ的な加工が
施されているものの、
スカーズは、
前記事でも触れた「メメント」の
フロント係を演じた、
マーク・ブーン・ジュニアで、
他にも、
エースを演じているのは、
ジェームズ・キャメロンと縁の深い、
あの“ターミネーター”役に
最初に抜擢された男でもあり、
「エイリアン2」でアンドロイドを演じた、
ランス・ヘンリクセンで、
また、酒屋の主人として
早撃ち大会の進行役を務めるのが、
「パットマン」ではなく「バットマン」、
ゴッサム市長の顔で知られる
パット・ヒングルであり、
さらにキャントレルを演じたのは、
「遊星からの物体X」では
カート・ラッセルと終焉を共有し、
私の中ではいまだにトラウマとして残る
「レクイエム・フォー・ドリーム」では、
マリオンを陵辱ショーへと導いた
あの男の記憶が重なる、
異形とも悪魔とも名づけられないまま
不穏な気配だけを連れてくる、
キース・デヴィッドで、
グッドソンに至っては、
ボディビルダーとして、
シュワルツェネッガーの友人である
ばかりか、
本作のクロウとは、
「グラディエーター」で
ガチで刃を交えた相手でもあり、
あの、“虎に頭を噛まれて泣く男の兜”が
忘れがたいティグリス役を演じた、
スヴェン=オーレ・トールセンで、
極めつけが、
エレンと、その父を知る
医者のドクを演じているのが、
「アルカトラズからの脱出」では
同じく“ドク”という名で、
所長に抗議するため
斧で自分の指を切断してみせた、
あのロバーツ・ブラッサムで、
我らがジョー・ペシを
シャベル一本で始末する、
「ホーム・アローン」における
“シャベル殺人鬼”としての記憶までが、
一気に重なってくるという、
まあ、残像だらけにも程がある
とでも言いたくなる配役によって、
早撃ち大会が催されているあたり、
なにか意味でもあるのだろうかと
考えたりもした。
このような面々を相手に、
トーナメントへ身を投じる
女ガンマンなのだから、
相当、度胸の据わった、
「氷の微笑」や「カジノ」
「トータル・リコール」仕様の、
男勝りなシャロン・ストーンを
想像していたのだが、
そのガンマン姿はクールで
一際輝いていたものの、
実際には、
カットが差し込まれるたび、
やたらとおどおどした挙動不審な
芝居の方が強く記憶に残り、
男勝りどころか、
ティア・レオーニや
エリザベス・シューを思わせるような、
ふとした“しおらしさ”が
顔を出す瞬間すらあって、
眩しげな表情に、
苦味やアルコールのイメージを薄く重ね、
唾を吐きすだけで、
西部劇らしさが
既視感として立ち上がってしまう、
そんな、チャールズ・ブロンソン以降に
定着していった身振りにも、
正直なところ、前半は、
“こんな感じで本当にいいのだろうか”
という戸惑いもあったが、
何度も言うが、
対峙しているのが、
あのジーン・ハックマンである以上、
差し込まれるたびに
恐ろしさだけを増していく、
ハックマンの演技に
呼応するものがあるとすれば、
それは、張り合う強さではなく、
受け止めきれなさや、
居場所のなさの方だったのだろう
と思われ、
そう考えると、
彼女の怯えを孕んだ佇まいは
釣り合っていないどころか、
最初から、
役割として配置されていたようにも
見えてきて、
その絶望感が反転し、
立場が入れ替わっていく
後半に向けたひとつの助走──
そんなふうにも思えるのだが、
なぜ、ヘロッドとエレンは
立場が入れ替わり、
エレンは勝利を確信したのか?
ヘロッドは息子を殺し、
殺しても消えないものに
触れてしまう。
その歪みはやがて、
股引き姿という
権威の名残すら剥がれ落ちた格好で、
ブツブツと独り言を漏らしながら
彼が銃を手入れする場面に滲み出し、
最後の決闘では、
銃を握る彼の手の震えとして、
ついに身体の表面へと浮かび上がるが、
一方でエレンは、
生き延びる必要がなくなった瞬間、
つまり、
人がもっとも、正確に引き金を
引いてしまう状態にある。
エレンが強気だったのは、
自分を信じたからなどではなく、
もっと簡単な事で、
ヘロッドが“いま弱い”と
気づいたからなのではないだろうか。
