これも、
当時より、何回もブログ記事にはしていることですが…。
移植入院中、
患者としてはもちろん、看護師としても色々思いました。
症状コントロールにうとい、
と言うか軽視と言うか みたいなことは、
骨髄移植後は、どうしても時間薬の部分が大きいから、
仕方ないと思ってみてはいました。
患者だから、
感受性も敏感,過敏にもなるし、
今はあれこれ考えたり 失望を確定して感じたりしない方が、
自分のためにも 良いかもと思ってみたりしていました。
当時必ず関わることになっていた
精神腫瘍科の主治医には、
この症状コントロールの状況について、
吐露し続けていました
当時、この医師も緩和ケア科所属だったか、
少なくとも緩和ケアチームのメンバーだったと思いますが、
一度も、自ら私や移植主治医に、
緩和ケアチーム併診を提案することはありませんでした。
「元気になった時に、
入院中のことを(看護師としても)改めて考えることにします。」
「賢明です。」
今まで、ずっとずっとずっとずっとずっと、
この「賢明です」が気になっていました。
当時、これでいいんだ、
という思いは少し感じていましたが、
何だか違和感みたいなものはありました。
私がここまで生きられたから
結果 all right👌 ですが、
悪化していっていたら どうなんだろうか…。
この後、
あまりにも下等な苦痛軽減方法(症状に適さない鎮静)提案に、
自分の中で密かに大いにブチギレ
緩和ケアチーム併診希望をに言いました。
この精神腫瘍科医より
「私に任せてください。他の人には言わないで。」の旨 返答があり、
私の希望は叶いました。
当時の緩和ケアチームは、
移植病棟に入ることは全く無かった為もあったのですが、
初日、狼狽えた目で
「どうして私達を呼んだんですか。」
と話された時、
「(移植主治医からの)依頼票通りだよ
精神腫瘍科医からどう聞いているんだよ」
とがっかりしました
この後、しっかり対話を重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて
私の幸せな時間の積み重ね〜今があります。
移植主治医は
(当時)コレが気に入らなかったので、
関係性はよりぎくしゃくしましたが、
何年かかかって、移植病棟への緩和ケアチーム併診はスタンダードになったので、
全体的にも良かったことにはなりました。
私は出来た人間ではないです。
移植退院後ある程度元気になってから、
わざわざ京都での造血幹細胞移植学会に参加し、
緩和ケアチームの併診の現状を探りに行きました。
「時代に乗り遅れることが無くて良かったですね」
と移植主治医に言いたい気持ちの波は、
今まで幾度もありました
「賢明です」
これはこれでわるくも無いけれど、
評価的な言葉の言い切りとも捉えられるし、
その時の苦しさ,辛さは、置いてけぼりだった
と思います。
闘病、病気との共存の日々の中で、
その時その時の苦しさ,辛さ、
軽減するのが難しいことも沢山あります。
どうにもならない、なれないことも少なくはありません。
それでも、その時に出来ることは何か、
私は懸命に考えたいし、
考えられる様に、
これからも勉強を重ねて生きます。
私の独りよがりや押し付けにならない様に、
その方の現実に沿う様に、
一緒に考えていきます。
解決は困難だったとしても、
せめて、孤独感は、
ほんの少しでも減りますよう
………1つの「賢明です」の結果ではありましたね
改めて感謝です
何故、若いパパ,ママ患者さん方がなくなり、シングルの自分は生きているのかと責める感じ、
サバイバーズギルドとも言うらしいですが、
長い時期、何度も繰り返し思うこと、ありました。
それも力になってきたことに感謝です