30代前半の谷口先生が、骨髄移植の日々に疲弊し渡米した気持ち、ポケベルの幻聴があったこと。
大変おこがましいし、勿論程度はかなりかなり違うが、共感出来た。
ナースコールの幻聴的なことはあった。
新人ナースの時、休日でも旅行先でも患者さんのことが頭から離れなかった。
辞めると決めた私を、私は嫌われていると思っていた先輩が食事に誘ってくれた。
病院のすぐ近くのシチュー屋さん。
2人きりで話すのが緊張した。
患者さんのことが頭から離れないことをお話しすると、
「辞めた方がいいね…。」
と言われたのを覚えている。
ほっとしたが、淋しくもあった。
辞めた自分は後悔した。
そして緩和ケアの道を歩いていく。
元々あった腰痛の悪化でそこも退職後、ある小さな病院の看護部長さんが、
「貴女を育てられる上司がいなかったのね。」
と私に言った。
初めてそんな視点を知った。
時が流れて、新人の頃の先輩と緩和ケアの先輩に、今もサポートして頂けることに、この上ない感謝と幸せを感じている。
でも、確かに当時は寂しかった。
一医療者として、現実をどう受け止めどう自分を保つかは、サポートがあったとしても、やはり自力でどうにかしなくてはならず、それは孤独だと思う。
患者さんのため。
違う。
キレイ事抜きで、最後は自分のためなのだと思う。
生きたい患者さん。
生かしたい医療者。
厳しい現実に苦しいのは誰
最期を覚悟できないのは誰
患者さんよりも医療者であるアナタではないのか。
医療者だって苦しい、でも、患者さんのそれとは別もので、そこをいつも明確にしていなくてはならないと思う。
そんなことに神経質になった。