歯科技工士の徒然日記346南高節氏がやって来る | 戸矢 隆の歯科技工士だからこそ分かる咬み合わせの真髄 下顎は左螺旋回転してずれて行く

戸矢 隆の歯科技工士だからこそ分かる咬み合わせの真髄 下顎は左螺旋回転してずれて行く

戸矢 隆です。
YouTubeに自身の講演会の様子もアップロードしてます。
https://www.youtube.com/channel/UC5SWEUbyVxYlJ9IAxzfPG2A



2020年3月8日日曜日藤岡市
みかぼ未来館に南高節氏がやって
来る

妻がチケットを2枚取ってくれた

私は中学生になると勉強部屋と
父親が使わなくなった古いトラン
ジターラジオをもらい深夜放送を聴
き始めた

埼玉県最北部という地理の電波状況
と古いラジオのため放送局の選択肢
はNHKラジオとTBSラジオしか
無かった
自然と深夜放送はパックインミュー
ジックになった

文化放送にセイヤング 
ニッポン放送にオールナイトニッポ
ンがある事は知ってはいたがノイズ
が激しくて聴いてはいられなかった
もちろん現在は普通に聴ける

パックインミュージックの放送時間
は午前1時から午前3時までである
中学生の就寝時間としてはどうだっ
たのだろうか
毎晩午前3時まで聴くようになった

当時のパックインミュージックの
1週間のラインナップは月曜日の 
午前0時を越えて火曜日から始まる
火曜日は小島一慶アナ   
水曜日は愛川欣也氏
木曜日は南高節氏   
金曜日は野沢那智氏と白石冬美女史 
土曜日が山本コータロー氏という
ラインナップだった

山本コータロー氏はソルティーシュ
ガーで「走れコータロー!」の大ヒ
ットがあり知っていた

野沢那智氏は父親と姉が洋画ファン
私も一緒にテレビで観るようになり
アラン・ドロンの大ファンだったた
めにその声優である事は知っていた

他のパーソナリティーは全く知らな
かった

南こうせつ氏
フォークソングのシンカーソングラ
イターであるという
喋り口調はとにかく弾むように明る
ユーモアがあるというよりは根がひ
ょうきん者なのだろうか
かなりのおふざけも入っている
計算ずくなのかも知れない
聴いていると明るく元気に浮き浮き
してくる
この番組でたくさんのフォークソン
グを聴くようになる

南こうせつ氏がリーダーを務める
南こうせつとかぐや姫の曲も良くレ
コードがかかっていた

私が小学生の頃は娯楽もゲームもな
く皆んなテレビで 良く歌謡曲を聴い
ていてそして歌っていた
千昌夫「星影のワルツ」
黛ジュン「天使の誘惑」
ピンキーとキラーズ「恋の季節」
美空ひばり「真赤な太陽」
尾崎紀世彦「また会う日まで」
小学生以来でも今でも歌える
 
父親は大きなステレオでビリー
ボーン楽団の「波路はるかに」や
「峠の幌馬車」シルビーバルタン
の「アイドルを探せ」などを聴い
ていて私も一緒に聴いていた

小6の担任の先生が歌が好きで
よくロシアの労働歌を皆んなで歌っ
ていた
「仕事の歌」は今でも歌える
今思えばマルクス主義者だったのだ
ろうか

グループ・サウンズが全盛だった
ザ・ワイルドワンズ
「想い出の渚」
ザ・タイガース
「花の首飾り」
ザ・テンプターズ
「エメラルドの伝説」

東京の企業が地元に進出して来て
東京の小学生が父親の転勤で大量に
転校して来て洋楽を聴いている転校
生もいた
「イマジン」「マミーブルー」
「男の世界」等を聴かせてもらって
いた

フォークソングの大ヒット曲もあっ
ザ・ダーツ「ケメコの歌」
思春期だった    女の子が今までと違
う意味で気になり始めた頃の恋の歌
だった
ザ・フォーク・クルセダーズ
「帰って来たヨッパライ」
ジローズ
「戦争を知らない子供たち」

そんな時
吉田拓郎が「結婚しようよ」で
日本の歌謡界のちゃぶ台をひっくり
返した
フォークソングがメジャーになった
それまでのフォークソングと違って
ニューミュージックや現在の音楽に
繋がる起点になった


その1年後
南こうせつ氏の深夜放送で
南こうせつとかぐや姫の
「神田川」を聴いた
今まで聴いたどの曲とも違っていた
イントロがギターのアルペジオと
バイオリンで始まる
旋律が哀愁を帯びて叙情的であり
多感な中学生の心の琴線に響き過ぎ
る程響いた
貯めておいたお年玉で「神田川」が
入っている
「かぐや姫さあど」というアルバム
を買ってすりきれるまで聴いた

新しい時代の到来を告げる
吉田拓郎の歌で沸き上がるような
高揚感の中で向かえた中学生活も幾
つかの挫折を覚え太宰治氏を読みな
がら中2病をかこっていた私は
吉田拓郎よりは南こうせつとかぐや
姫ほうがしっくりくるようになって
いた

「神田川」の大ヒットの後
グループ名が
南こうせつとかぐや姫からかぐや姫
に変わり
「三階建ての詩」というアルバ
ムがでた
南こうせつが
「メンバー全員に平等に印税が入る
ように」と伊勢正三氏と山田パンダ
氏に曲作りのノルマを課した
そして生まれのがフォークソング史
に燦然と輝く名曲「22才の別れ」と
「なごり雪」である
「22才の別れ」のあまりにもの
評判の良さに伊勢正三はシングルに
したがるが規定路線で次のシングル
は「妹」になりかぐや姫最後のシン
グルになる

その後かぐや姫は解散をして
伊勢正三氏は風というフォーク
デュオで「22才の別れ」を大ヒッ
トさせイルカが歌った「なごり雪」
も大ヒットしその後も伊勢正三ワー
ルドが開花し炸裂する

南こうせつ氏の心情やいかばかりで
あ ったろうか

大分の高校の後輩である
大学に入りたての伊勢正三氏を
かぐや姫に誘い中退させている
負い目はある
それが「神田川」で大ブレイクした
レコードが売れるようになって
次のアルバムで
印税を得させてあげようと曲作りを
無茶振りしたらとてつもない名曲を
作り上げてしまった
責任を果たした安堵さと
後輩に出し抜かれた嫉妬と悔しさは
無かっただろうか

「22才の別れ」と「なごり雪」は
「神田川」より洗練されている
「神田川」は時代を良く描写してい
るが
青春ソングとしてより普遍的となる
と「22才の別れ」と「なごり雪」
になるのかも知れない

伊勢正三氏の渋くニヒルで無機質な
歌声は若者達の共感は得たが
酷使には耐えられなかったのだろう
か「ほんの短い夏」以降その歌声を
失ってゆく

その後南高節氏は伊勢正三氏と
ひめ風を結成したりして良くフォロ
ーしている

今年
南高節氏70歳
私             60歳
どちらが先に逝くか分からないが
今回が最初で最後になるであろう