生きるのが耐えられないと感じるほど辛くて、体力まで衰える瞬間がある。また、もうこんなに満足と幸せ感をたっぷり味わえる瞬間もある。自分が好きな相手の考えていることは、まるで自分にはわからない。人が本音を語ることは稀だろう。本当の気持ちを隠して、一時的に相手に合わせることがある。大人になればなるほど、そういった思考の確率はどんどん高くなる。
私の今の辛さと幸福は、宏樹の心、1つにより左右する。宏樹が私を見なければ、不幸が訪れ、宏樹が私を見れば、幸せの絶頂にいる。人の心の中までは決して覗けないのに、そんな形のないものによって私の気持ちはダウンしたりアップしたりする。どうでもいいことのはずなのに、こんな不確かなことにより、自分が悲しんだり、喜んだり、涙を浮かべたり、饒舌になったりしてしまう。私の生活は、今、宏樹の心をどう判断するかにより決定している。
好きな人が微笑んでくれれば、それを信じたいし、優しい言葉を投げてくれれば、それに浸りたい。会話しているときは、相手が自分の目の前にいるので、とりあえずは自分を見ていてくれる。だが、お互いがそれぞれの日常生活に追われ、時間が流れ、相手から何の連絡もこないと、無性に不安になる。
このまま、ぷっつりと、離れたままで、何の交流もなくなるのだろうか。1カ月、1年、10年が過ぎていくのだろうか。実際、恭介がそうである。私が何の行動も示さなくなったら、恭介の音沙汰は途絶えた。悲しいことである。相手に興味を持たなくなることは、もちろんある。距離が広がり、時間が経過すると、さらに興味は引いていってしまう。
このことは、もしかしたら、結婚後もあるのではないか。結婚はお互いの距離は一定である。だが、相手に対する興味は、時間が経つにつれ、先細りになるのではないか。恋愛中、交際中は、相手に会えない分、会いたくて今どうしているか、気になり恋しく考えるものだが、そうにもかかわらず交際期間が長くなればなるほど、相手の存在が自分の意識に上らなくなる。それに対し、結婚は常に相手を目の当たりにする。相手を見ていたり、見ていなかったりの状態が続く。慢性的な生活が緊張感をなくし、相手を無意識に感じ、恋しい気持ちが失せてしまうのではないか。交際中に味わう、相手が一体何を考えているのかという、常に不安になったり、疑心暗鬼に思う焦燥感というものは、ないのかもしれないが。
私の今の辛さと幸福は、宏樹の心、1つにより左右する。宏樹が私を見なければ、不幸が訪れ、宏樹が私を見れば、幸せの絶頂にいる。人の心の中までは決して覗けないのに、そんな形のないものによって私の気持ちはダウンしたりアップしたりする。どうでもいいことのはずなのに、こんな不確かなことにより、自分が悲しんだり、喜んだり、涙を浮かべたり、饒舌になったりしてしまう。私の生活は、今、宏樹の心をどう判断するかにより決定している。
好きな人が微笑んでくれれば、それを信じたいし、優しい言葉を投げてくれれば、それに浸りたい。会話しているときは、相手が自分の目の前にいるので、とりあえずは自分を見ていてくれる。だが、お互いがそれぞれの日常生活に追われ、時間が流れ、相手から何の連絡もこないと、無性に不安になる。
このまま、ぷっつりと、離れたままで、何の交流もなくなるのだろうか。1カ月、1年、10年が過ぎていくのだろうか。実際、恭介がそうである。私が何の行動も示さなくなったら、恭介の音沙汰は途絶えた。悲しいことである。相手に興味を持たなくなることは、もちろんある。距離が広がり、時間が経過すると、さらに興味は引いていってしまう。
このことは、もしかしたら、結婚後もあるのではないか。結婚はお互いの距離は一定である。だが、相手に対する興味は、時間が経つにつれ、先細りになるのではないか。恋愛中、交際中は、相手に会えない分、会いたくて今どうしているか、気になり恋しく考えるものだが、そうにもかかわらず交際期間が長くなればなるほど、相手の存在が自分の意識に上らなくなる。それに対し、結婚は常に相手を目の当たりにする。相手を見ていたり、見ていなかったりの状態が続く。慢性的な生活が緊張感をなくし、相手を無意識に感じ、恋しい気持ちが失せてしまうのではないか。交際中に味わう、相手が一体何を考えているのかという、常に不安になったり、疑心暗鬼に思う焦燥感というものは、ないのかもしれないが。