1995年、桑田真澄投手は試合中に右肘に大きな怪我をしてしまった。


その怪我を治すために渡米して手術を受けた。


術後はリハビリの為に走り込みをした。


その期間約2年。


走っている間は、頭の中で試合を想定していた。


相手は阪神。


1番は和田豊さん。


初球からは打ってこないので甘めの外角ストレートで確実にワンストライクをとる。


2球目は同じ軌道からのスライダーで手を出してくれたら儲けもの。


そんな感じで毎日対戦相手を変えてイメージトレーニングをしながら走っていた。


走り込みを続けたジャイアンツ球場のライトからレフトの外野フェンス際の芝生は禿げてしまった。


その芝生の禿げた道を『桑田ロード』と言う。



そして661日ぶりに試合復帰したとき、マウンドに右肘をついて『マウンドの神様、ボクは帰ってきました。あなたのもとへ、今、帰ってきました』と祈りを捧げた。




俺はこの瞬間をテレビで見た時、感動して涙を流した。


別に野球には一切興味はないが、PL学園のK.Kコンビには胸を熱くした。


桑田真澄と清原和博という選手は、野球に興味のない人間までを巻き込む程の、素晴らしい魅力のある選手達だ。


そして最後に俺が今リハビリで毎日歩く練習をしている場所だ。


俺もココを『小野ロード』と名付ける事にしました。








昨日の9月25日は県営住宅の抽選日だった。


新築のバリアフリーの部屋は1件しかなかったので、競争率が高いかなぁと思っていたら、応募をしたのは俺だけだったらしく見事に部屋を獲得できた。


後は審査を受けてクリアしたら確定となり、12月1日から入居が出来る様になる。


役所の事なので◯◯証明書や住民票やマイナンバーカードやらをどうしたこうしたと、小難しい言葉で書いてあるPDFを理解しなければならない。


健康な時なら自分1人で出来たので、ろくに理解もせずに役所へ乗り込み能書きを垂れ、終いには「書き方が難しすぎて理解できる訳がないだろう」と悪態をつき、めちゃくちゃにするだろう。


だが今の俺は誰かしらの力を借りなければ何も出来ない状態なので、理解して説明をする為に昨日から穴が開くほど読んでいるのだが、頭の悪い俺はなかなか理解が出来ない。


しかし俺にはアホ程時間が有り余っているので、今日も1日じっくりと向き合っていこうと思っている。



今日、リハビリがあり屋外へ出て歩行の練習をした。


病気になって1年2ヶ月経つが、屋外に出たのは病院を移る時の2回だけで、しかもタクシーが待機していて一瞬外の空気に触れるだけだった。


そして最後に屋外に出たのは7ヶ月前の施設に来たときだ。


7ヶ月ぶりの屋外の感想は「暑い」の一言だ。


真夏の暑さも落ち着き、今日なんて気温も27度でそれほど高く無いのだけれど、俺には身に沁みた。


柔になったものだ。


そりゃあ、そうか。


冬は暖房がしっかりと効き、夏場は寒いくらいにクーラーの効いた、一年中温度管理された空間で1年2ヶ月の間、ぬくぬくと時を過ごしていたのだから、柔になって当然だな。


これからは「柔になったこの体と仲良く過ごして行かなくては」と思う51歳のおじさんである。




自由とは

「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること」を言う。


束縛とは

「相手の行動の自由を制限すること」を言う。


と言う事は、今の俺は束縛されまくりの、やられまくり状態だ。


偉そう書いたが、簡単に言うと「酒」が飲みたい「タバコ」が吸いたい「セックス」がしたい、と言う事だ。


「衣食住」+「飲む」「吸う」「やる」これは今後満たしていきたい。


この年齢になり、こんなに自由を奪われるとは思っても見なかった。


俺は今まで当たり前の様に自由の恩恵を受け、そして自由を無駄遣いをしてきた。


自由が人間にとってこんなにも大切な物だと言う事を、この病気は教えてくれた。


「これからは自由と言う形のない物を大切にしていこう」と思った51歳のおじさんであった。




障害者施設にいて何が苦痛かと言うと自由がないことだ。


あれは駄目これは駄目とルールだらけでたまらない。


昨日は朝6時に髭を剃っていたら『6時半迄は髭を剃らないで下さい』だって。


『アホか!!』


51歳のおっさんが小学生みたいな注意をされてしまった。


俺は腹が立ったが「黙ってその場を去る」というスキルを、この年になってようやく身に付けたので、その場を去った。


ちょと前の俺なら頭にきたら後先なんて考えずに、メッチャクチャにしてやったが、大人になった俺はそう簡単に無茶はしない。


今更なのだが仕事を現役でやっている時に、こういう考えにならなければいけなかったのかな。


だけどそんな大人ぶった俺も、やっぱり「自由が欲しい!!」と心の中で今日も叫び続けるのであった。

今の俺の願いは「ゆっくりと寝たい」だ。


23時過ぎに寝て5時頃起きるのだが、寝るまでは隣のおっさんのお口グチュグチュに悩まされ一苦労してやっと寝る。


やっと寝れたと思ったら今度はおっさん2人のオムツ交換が0時と4時にあって、その時に電気をつけて物音を立てるので、そこで必ず起こされる。


4時を過ぎると他の部屋の人間も起き出して、廊下などでざわざわしだすので、起きてしまう。


毎日がこんな感じだ。


寝られないと、お口グチュグチュのおっさんを引っ叩きたくなる時もあるが、なんとか我慢できている。


こんな毎日ではたまったものではないので、早いとこ施設から脱出したいと思っているのだが、俺の稼ぎでは部屋を決める段階で苦労している。


あれやこれやと苦戦しながら、焦らず腐らず根気よく、やって行こうと思っている。






障害者施設に来て7ヶ月が経とうとしている。


7ヶ月前に医者からは「もうこれ以上治はらないだろう」と言われていた。


当時の状態で治らないとなると、寝返りも打てない、トイレに行けないのでオムツで糞をする、飯も自分では食えないなど、ハッキリ言って寝たきりと変わらない。


「この状態で一生はないなぁ〜」って言うのが俺の感想だ。


だが良い意味で裏切ってくれて、発症から11ヶ月が経った頃から、少しずつたが体が動く様になってきた。


手が上がる様になり補助具を使ってだが、飯が食える様になった。


下半身は自分で立ち上がる事が出来る様になり、ヨタヨタだが手摺なしでも100m位なら歩ける様になった。


まだまだ人の手を借りなければならないが、なんとかやっていけそうにはなってきたかな。



さっきからブログを書いては消し、書いては消しを2回繰り返した。


なんか分からないが書いていると、どんどんと悪口ばかり書いてしまう。


書いていると、どんどんとムカついてくる。


そして気分が悪くなって消してしまう。


少し施設内を散歩して気分を変えて書くが、気が付くと悪口を書いている。


そしてムカついて気分が悪くなり消してしまう。


今日は「なんかムカつく」そんな日なのかなぁ。



飯は食堂で食べるのだが、座る位置は予め決められている。


俺の席は俺を含めて2人だ。


もう一人は76歳のおばあちゃんで少しボケてはいるが、元気良く笑いサッパリとした性格をしている。


そんなおばあちゃんは、この施設に毎日自宅から通っているらしい。


「らしい」と言うのは、おばあちゃんが自分で言っているだけで、実際は施設で寝泊まりをしているのだ。


前日が大雨だった日は「昨日は帰ろうと思ったけど雨が酷くて帰れないからココに泊まったんだよ」と言ってきた。


俺は「そうなんだ。大変だったね」と話を合わせる。


更に「家に行く途中が通行止めだったんだよ」と具体的な事まで言ってくる。


俺はボケた人間と会話をした事が無いので、不思議で仕方がない。


本人にとっては本当の出来事なのか、それとも嘘と自覚して嘘を言っているのか、それともただ言葉を並べているだけなのか?


話を聞けば聞くほど、不思議な世界に入っていく。


俺はそんな不思議な世界が何となく居心地が良かった。


この居心地の良い時間は限られていて、飯を食う30分だけだ。


まぁ30分と限りがあるからこそ、居心地の良い場所と空間になっているのだ、とは自覚している。


そんな少しボケたおばあちゃんは、今日も元気に何処かの世界に行っているのだろう。

障害者施設に来て思ったが、声のボリュームがぶっ壊れている人間が多々いる。


耳が悪いのか、声が出しづらいのに無理に声を出すので声がデカくなるのか、それとも他に理由があるのか、そのへんは分からない。


気にはなるが「何で声のボリュームがぶっ壊れているのですか?」なんて聞けない。


この施設で声デカNo1はデイルームを縄張りとしている40歳位のBBAだ。


このBBAは以前、俺に「うるせぇぞ」と言われて「地声がデカいもんで」なんて訳の分からない返答をしてきた。


俺は「そういう問題じゃねぇだろう」と言ったら「すいません」と言っていた。


その後、相変わらず声はデカいが、少しは気を使っている素振りが見え、アホみたいに大騒ぎはしなくはなったので良しとした。


俺は日中このデイルームに4ヶ月居たが、デイルームはエアコンの効きも悪く暑くなって来たので「涼しい場所は無いか」と担当者に相談して、食堂へと縄張りを移した。


そしてたまにデイルームの前を通ると、BBAは以前にも増してデカい声で喋りまくっていた。


そのBBAの姿を見て、俺は二度とココへは戻ってこないと誓ったのである。