昨日、他愛のない気持ちで小学校時代の思い出について書いたんだが、ああ、ゲシュタポ系女教師、水谷の名前など思い出してしまい、何やらむかむかするような気持ちが込み上げてきた。水谷、うん、この名前、私にとっては禁断の部屋の扉を開く鍵みたいなもんなんだ。
水谷は小学二年生の時の担任の教師だ。幾つぐらいかって?小学二年生に、そんな事わかるもんか、小学校低学年のガキにとって人間ってのは老人か、大人か、ガキか、せいぜいそれぐらいの区別しかなかった。水谷は、うん、もちろん大人さ。子供にとって、ただそこに存在するだけで暴力装置にも成り得る、そうさ、それが大人だ。
学校の教師、それは子供の国を統治する独裁者だ。それが良い君主か、とんでもない馬鹿殿なのか、子供にとっては大いなる運だね。小学校二年生の私は運試し、そいつに敗れたんだ。ともかく、何一つ大人としての魅力を感じさせないこの女教師は、数々の理不尽な教えをわれわれに押し付けてきたんだ。
未だに私の歪んだ性格に影を落としている出来事があった。ある授業の時、どんな質問だったのかは覚えちゃいない、ともかく友人の小野君が指され、彼はまったく答える事ができなかった。立ったまま考え込む小野君に、いきなり水谷が怒鳴りだしたんだ。何故、こんな簡単な質問に答えられないのかと。
当時、市内の小学校には冷暖房の装置などなく、われわれは冬となると、教室でも上着を着込んだまま授業を受けていた。その時、立たされたままの小野君もジャンバーを着ていた。淡いベージュのジャンバーで、胸には鹿の模様があしらわれていた。
いきなり水谷は、小野君に向かって、そのジャンバーを脱ぐように命じた。こんな簡単な問題も答えられない癖に、そんな綺麗な服を着ているなんて生意気だというような事をまくし立て始めたんだ。ゆっくりとジャンバーを脱ぎ、俯いたままの小野君はいつの間にか泣き出していた。擬音をつけるなら「しくしく」ってな感じさ。今でもはっきりと憶えている。その事は小学校時代の最も嫌な記憶の一つとして私の心に巣食っているんだ。
親御さんが可愛い我が子のために選んでくれた綺麗な服を着ている事と、勉強が出来ない事に一体どんな相関関係があるというんだ、などという言語をまだ持っていない小学高低学年の私には、勉強が出来ない者は綺麗な恰好をするべからずというような、おかしなしきたりめいたものが刷り込まれてしまった。
ちなみに今、私はゴム草履を履いて毎日を過ごしているが、これは別に良い作品が書けないという負い目からの事ではない。いつか作曲家として恥じないような作品が書けるようになったら、ぴかぴかの革靴を履いて街を闊歩しようなどと思っている訳じゃあない。ただゴム草履が好きなんだ。うん、念の為、一応ことわっておこう。
小学校低学年といえば、まだ人の噂話に精を出すなんて時期じゃあない。私も友人たちと、水谷についての人物評を言い合った記憶など無い。ああ、同級生たちは果たして、このヒステリックな専制君主の事をどう思っていたのだろう。ただ、放課後、まわりの大人たちに、今日学校で先生にこんな嫌な事を言われたと愚痴をこぼす事ぐらいはした。その時、大人たちから返って来る言葉といえば、「あの先生はばりばりの旗振りだからねえ」、などというようなものばかりだった。旗振り?小学生の私にその言葉の意味はまったくわからなかった。私の頭の中では、水谷が自分の顔が大きく描かれた応援団の団旗みたいに大きな旗をばたばたと振り回していた。
うん、この女教師、当時急速に膨らんで来た教員による労働組合の運動員だったって訳さ。それでいて父兄たちには、今のように教師なんてただのサラリーマンじゃあないかなどという考えはなく、まだまだ聖職を担う先生様の時代だったんだ。今なら父兄たちの槍玉に上がりそうな教師がのうのうとしていられた時代だった。
何だか近所の激安食料品店の話が、すっかり小学校時代の記憶に呑み込まれてしまった。昨日の記事だと、その食料品店、ろくな物が売って無いように思われるかもしれないが、出来合いの冷凍食品など、なかなかお得な物も多くある。揚げ物など、そのまま居酒屋で出されても何の文句もないような出来だ。私は、常日頃緊張して生きている。何とかリラックスできるような時間を持ちたいと常々思っているのだが、そんな私がこの一年でもっともリラックスできた時間、それは秋の晴れた遅い夕方、燦々と陽が入って来る部屋で、この店で買ったまぐろのフライに、たっぷりとにんにくを効かせたトマトソースを絡め、それを黒ビールで胃に流し込みながら、「夏目友人帳」とかいうアニメを暗くなるまで眺めていた時間だ
2019. 4. 21.