通信15-19 死は番茶のように | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

 


 去年の秋から今年の春にかけて、私は大いに死というものに近づいた。うん、死ぬという事が随分と身近に感じられるようになったんだ。歳若い頃、自身がまだ死というものから随分と遠くに存在している時、例えばそれが近しい者との死別であったり、若者特有の妄想であったり、いかにその時対峙した死というものが辛く、悲しく、あるいは不安であったりしても、どこかその死という想念はたっぷりとした甘さを含んでいた。いつまで口の中で舐めていられるような甘さ、まるで飴玉のように死というものは、若者の中に存在しているんだ。

 


 歳を取ると、もちろん死というものに甘さを感じる事はない。そいつは目の前の湯呑みに注がれた、冷めかけた番茶のようにそこに在る。日々の暮らしの中で、何かをしている合間に、突然思い出したようにそいつをずずずと音を立てて啜るんだ。それが老人にとっての死ってもんさ。

 


 今、私は薬というもので生き永らえている。もしかしたらもう寿命とかいうやつ、本当はそいつは疾うに尽きているのかもしれないね。その伸びきったゴム紐みたいな寿命、そいつをかろうじて切れないようにつないでくれているのが薬ってやつさ。もし私が敬虔な宗教家なら、自分の事を神や仏に背いて薬にすがる背徳者のように感じるのかもしれないな。

 


 若い頃、いつ死んでも不思議じゃないというような生活をしていたつもりだったが、それでも今振り返ると、その生活はどこまでも死というものからは遠かった気がする。若い自分は随分と体が強かった。死ぬなら事故死、それしかないだろうと思っていた。でも実際は車に撥ねられても、崖から転がり落ちても、そいつはただただ笑い話にこそなれ、死を連想させるものじゃあなかった。

 


 そういえば十年ほど前の事だ。私は机に向かって作品の最後の仕上げに没頭していた。何かがうるさかった。音が渦巻いている。私はその音を何故だか自分の頭の中から溢れ出しているもののように感じていた。だが、その音は私を押し潰すようにぐんぐんと膨らんでくる。とうとうこらえきれなくなった私は、うわあ、などと奇声を上げ、水の底から飛びすように書きかけの作品から飛び出したんだ。

 


 現実に還り、ようやくわかったのだが、その音は窓の外から聞こえていた。えっ、一体何事かと外に目を遣ると、おお、向かいの家、それは農家なんだが、そいつが勢いよく燃えているじゃあないか。思わず窓を開ける。その時、私の部屋は四階にあったんだが、眼下に人々が集まり、騒いでいるのが見えた。すぐ目の前で消防自動車が狂った象のように、燃えさかる農家の納屋にがんがん水を振り掛けている。もし、私が頭の悪い小学生なら手を叩いて大喜びするところだ。

 


 窓から身を乗り出し、唖然として火事を眺める私に消防団員の一人が気付き、「そこのあなた、すぐに避難しなさい」と叫ぶ。えっ、私?と自分を指差して見せる。そんな間抜けな私に、「大丈夫ですか?逃げられますか?」大声で問い掛ける消防団員。「エレベーターは使わないで、階段で」。うん、大丈夫、このアパート、元々エレベーターなんかついていないさ。この話を人にするたびに、ああ、あの時は死ぬかと思ったよ、などという言葉がつい、口をついて出て来るんだが、うん、何故か死ぬという事には一歩も近づいていないと実は思っている。

 


 何だか作曲に没頭すると、たちまち無防備になって危ないと思う事がしばしばだ。これも随分と昔の事、作曲中に私は多分、大いに腹が減ったんだろうね。無意識のうちに缶詰を食べようとしたみたいなんだ。秋刀魚の缶詰。ああ、でも仕事に集中している時の私は、とんでもない事をしてしまうんだ。缶詰を温めようと鍋に水を張り、どういう訳かそこに蓋を開けないままの缶詰を放り込み、瓦斯コンロを点火してから、私は原稿の前に戻ったんだ。それ切り缶詰の事は忘れてしまった。しばらくして背後で猛烈な破裂音が起きた。当然さ。それから「かんかんかんかん」という空き缶が部屋中を飛び回る音、やがてその音は「からからからから」という、物体が激しく回転しているかのような音に変わった。振り向くと台所の床の上で長方形の秋刀魚の空き缶が一つの角を中心にくるくると回転している。おお、凄い、もし私が殿様なら天晴れなどと叫びながら扇を大きく開いてみせるところさ。

 


 次第に回転を緩める空き缶におそるおそる近づいてみる。あれ、中身は。うん?きょろきょろと辺りを見回すが、肝心の秋刀魚、そいつがどこにもないじゃあないか。あれこれ考えた後、うん、そいつはこなごなになって、もはや粒子レベルまでこなごなになって、飛び散ってしまったんだ。そう考える他なかった。


 さらに数日経ってからの事、晩のおかずでも拵えようと台所に立った私は、どうも首が凝るなあなどと呟きながら、そのがちがちに凝った首をぐるぐると回した。ふとその視線が上を向いたとき、あっ、天井に何やら気持ち悪い物体が貼り付いているじゃあないか。もちろんそいつが消え去ったと思っていた秋刀魚の蒲焼さ。しかもすっかり平べったくなって、その面積は三倍にもなっていた。一体どんな力で天井に叩きつけられたんだ?

 


 うん、死にかけたような事故の話を書こうとあれこれ頭を捻ってみたんだが、ああ、やはり私の中から転がり出てくるのは、死などとはほど遠い、ただの間抜けな与太話だけだね。

 


                               2017. 6. 21.