通信13-32 もう一度呼吸法を | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート


 ああ、体の中を息が駆け巡るってのは気持ちが良いもんだねえ、などと能天気な事を呟きながら楽器を吹きまくっている。息はしっかりと入っている。ようやく振り出しに戻ったって訳さ。来月、また久し振りにライブをやろうと思っているんだ。街の片隅の小さな喫茶店で。誰にもばれないようにこっそりと。

 

 そうだ、チケットを売らなければならない。夕闇迫る路地裏で、電信柱の影からそっと現れ、ちょいとお兄さん、面白いライブがあるんだけどチケット一枚どうだい?と温泉街の片隅に潜むエロ写真売りみたいに道行く人に擦り寄って、わずかなお足を騙し取るんだ。そういえば随分と前に死んでしまったうちの祖母さん、チケットの事を「ふだ」と呼んでいたな。ああ、そっちの方がいいかもしれないね。「ふだ」は要らんかね。この「ふだ」一枚で楽しい隠し芸が見れるんだよ・・・。丁寧に御の字をくっつけて「おふだ」にすると、何やら有難いものと勘違いして買ってくれる御老人もいるかもしれないね。まあ芸能ってのはそんなもんさ。

 

 ここ数年、呼吸の感覚がすっかり変わっていた。その原因の一つにはずっと循環呼吸に頼りきっていたという事があるのかもしれない。循環呼吸、鼻から息を吸って口から吐き出す。とっても便利な呼吸法さ。元々その呼吸法に関心があった訳じゃあない。ただバッハの弦楽器のための曲をさらう時、その延々と終わりなく続くアルペジオを淀みなく演奏するために無理矢理覚えたんだ。でもやり始めてみると、思いの外こいつが楽で、もうやめられなくなってしまった。でもあまり格好の良いもんじゃあない。視覚的にはお客様を不快にしてしまう怖れもある。なにしろ思い切り頬を膨らませなけらばならないんだ。まるで下関駅前に居並ぶ河豚のブロンズ像か、ドッグフード界のアイドル・ビタワン君みたいに。いや、ビタワン君は別に頬を膨らませているんじゃない、元々あんな顔立ちだ。

 

 ともかくその頬を膨らませては萎ませ、あたかも昔の不良少年が口に当てていたシンナーの袋みたいに、ぷわあ、すううう・・・ってなもんさ。しかも人間の頬の容量なんてたかが知れている。「おそ松くん」に出てくる「ダヨーンおじさん」みたいに頬がでかけりゃあいいんだが。いや、それにしたってこんどは吸気を取り込む鼻の穴が小さすぎるだろう。鼻の穴、そいつがとことん大きくなくっちゃね。隔鼻壁、鼻の穴を右と左に分けている壁、こいつが邪魔だね。そういえば私の昔の友人に、この隔鼻壁を溶かしてしまった奴がいた。どうやって?うん、コカインさ。このコカインというやつは鼻の内側の粘膜に塗りつけて使われる事が多いんだがやりすぎると粘膜を溶かしてしまうんだ。

 

 もちろん私はやった事がないので知らないが、コカインをやるとたちまち鼻づまりが治るんだが、回を重ねるうちに今度は鼻水が止まらなくなってゆくらしい。頬だとか指先だとかともかく体の皮膚が軽く痺れ、現実感が薄くなり、その代わり思い切り陽気になる。楽しい夢の中で遊んでいる感じだ。ともかくくすぐったい。コカインは局所麻酔としてとても有効らしいが、うん、それもわかる気がするね。ただ、その効果は素早いがとても短いらしい。そんな訳でどんどん摂取量が増え、歯止めがきかなくなるらしい。コカインはやらない方が絶対に良いと私は思う。

 

 ああ、話がすっかり逸れてしまった。ともかく呼吸法、そいつをもう一度基礎からやり直すんだ。うん、何だか新年の抱負みたいでいいね。

 

 

                                                   2017. 1. 14.