夏花13 雨その1 | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

 

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 すっかり年老いた私にも時折、いやしばしば若い女性からメールが届く。返事を折り返そうとする度に、小石に躓くように一瞬ためらいが起こる。私がメールに馴染めないのは、メールの文体を持たないからだ。メールの文体?そんなものがあるのか?メールは文章ではなく、言葉の代わりとして届く事が多い。限りなく口語に近づこうとしているように思える。それに対して返事を出す事がためらわれるのは、私がメールを便利な速達便、つまりあくまで手紙が簡易化されたものとしてしか感じられないからだろう。

 

 私は口語表現が苦手だ。長いことこの事が自身の劣等感の中核をなしている。ここ数年は、何とか語りかけるような文章を書きたいと密かに努力しているのだ。さすがに「(笑い)」や「ドキドキ」や「ヾ(@°▽°@)ノ」は使わないが、語尾に注意したりと、虚しい工夫をしている。

 

 高校生の頃、アメリカンスクールに通う一人の白人の女の子と仲良くしている時期があった。私が口を開くたび、彼女はころころと笑った。滑稽でたまらないというように。私は、学校で教わった英語を、ひたすら丁寧にしゃべっていただけだった。何故自分が笑われるのか、高校生の私は全く分からなかった。国籍、民族を問わず、多くの若者がそうであるように、帰結点の見えない我々の心は次第に冷ややかなものになっていった。楽しさに擽られているような笑いが、蔑みを含む乾いた笑いに変わっても、私は何故笑われているのか分からないままに、頓珍漢な英語を喋り続けた。

 

 何故笑われていたのか今なら何となく分かる。私の英語は馬鹿丁寧に過ぎたのだ。時代掛かっていたのだ。夢子殿に話しかける忍者ハットリ君みたいなものだったのだ。そういえば、飲み屋で知り合った米軍将校に、この街のどこに行けば女を買えるのかと訊かれた事があった。丁寧に説明する私に向かって彼は、君は綺麗な英語を話すじゃあないか、でも俺はアメリカ人だぜ、と笑った。

 

 知らない国の知らない言葉なら、こんな頓珍漢もご愛嬌って訳だが、私は自分の国の言葉を喋っても大いにこういう傾向があった。喋り言葉がどこまでも書き言葉に近かった。こんな私が、夏の花そのもののように美しい、白い指を持つ女性と出会ったとき、一体どのように驚けばよかったのか。夏空を映し出す澄んだ湖面のような瞳でじっと見つめあられたとき、どのようにうろたえればよかったのか。

 

 いや、これまた言葉の問題ならよかった。頓珍漢な男が、頓珍漢な言葉をいくら喋ろうがそれもまた、ご愛嬌ってなもんだ。だが、私の書く音もやはり文語だった。とのかくそれは堅苦しかった。その事に気付いた私は大いにうろたえ、青ざめたのだった。文語は自らを隠す道具だった。私は、自分をさらけ出す事が出来なかったのだ。恐れていたのだ。私は心のどこかで自身が曝け出される事に耐えられるような代物ではない事を知っていたのだ。黙っていればまだましだった、喋ればすっからかん、その事が暴露されるのを恐れていたのだ。今は、恐れないよう努力をしている。もちろんすっからかんは相変わらずさ。だが、すっからかんはどうでもいい、その曝し方、それが大切なのだと、私は連作「夏花」を書き続けるのだ。

 

 七月の厚い雲、光をすっかり遮るその雲から滴り落ちてくる雨音にじっと耳を澄ます。その暗さは夜をも昼をも拒んでいる。耳を澄ますことで、美しくうなだれた夏花を見る。私は、ひたすら耳を澄まし光の音を待つ。

 

                                     

                                       

                            2011. 12. 28.