母は、お友達のお母さんと比べて 都会的な人でした。
私たち家族が 総出で田んぼをしてる時には、母が持ってきて
くれるおやつが楽しみでした。
当時は珍しかった 「あべかわ餅」 もその一つでした。
子供の誕生日には、小さい頃は 赤飯のお頭付き鯛でしたが
大きくなって来ると、都会に出ても恥ずかしくないようにと
ナイフとフォークを 使う料理を作るようになりました。
子供一人一人の生まれた時の状況を 誕生日に聞かせてくれるのも
特徴でした。
私が生まれたのは、秋なので 「お前は良いときに生まれたねぇ、
新米の餅コメに取れたての小豆が使える」とか。
「生まれた時は髪が真っ黒で産毛がお湯の中でゆらゆら揺れて、
まぁ、毛深い子や」と思ったことを聞かせてくれるのでした。
母は、非農家で育ったのに いきなり農作業をするようになって体を
壊してしまったのです。
それが原因で、私たち上の3にんの兄弟がかわりばんこに朝ご飯を
作るようになったのです。
母が弱かったおかげで私たちの出番が多くなり、
子供たちが返って丈夫になったのかも知れません。