当時は結核が流行していて 父は家族が免疫力を付ける、という事に

一生懸命でした。

後で 具体的に書きますが 大ざっぱには

① 重労働の軽減

② 栄養を考えた食事 の二つに分けられます。

 

さて、私はいつの間にか 学校が好きになっていました。

 

特に思い出すのは 4年生の受け持ちだった 後藤先生。

この先生が、いつも本を読んで下さるのです。

 

「この子を残して」と題した 長崎の原爆で被爆した医師の記録書。

私と同い年の子供を前にして 日に日に朽ちて行く体の状態を書きながら 

父としてこの子を残して逝く切なさを描いたものでした。

後藤先生は 涙を流しながら読んでくれるのでくれるのでした。

先生が、真剣になれば生徒も真剣になるものです。

 

これがきっかけになったのか、私は 本を読むことに夢中になって来ました。

田舎の学校のちっちゃな図書室の本をかたっぱしから読み始めたのです。

「あぁ無情」 「王子と乞食」 「小公女」「小公子」 「赤毛のアン」 「モンテクリスト伯」

「鉄仮面」 ・・・ほかに何があったでしょうか「世界子供文学全集」の全てを。

 

母親に 「お前は、本を読み始めると お尻が重くなる!」と叱られて 

読んでる途中の本を取り上げられることが しばしばでした。