私の父の服装をちらっと見たことがあります。
コートは刑事コロンボのようなよれよれを着ていました。

背広も色あせてくると母が一端背広をほどき 裏返して仕立て直していました。
「ワシが服を綺麗にすると、子供4人の学資が出ないからなぁ」
父は明るく 言ってました。

父は40歳で教頭にはなりましたが、定年まで校長になろうとはしませんでした。
校長になると会合が多くなり、酒席が健康に悪いと言うのです。

先輩の先生からは、そうとは知らず、校長になりたかったらもっと服装を
考えろ、と言われたこともあるそうです。

定年退職後は、母と小豆島の88箇所霊場の先達を務めていました。
自分の自治会老人クラブの会長を6期受け持ち、健康にも気をつけて
80歳で自分の歯が28~29本あることも聴いてました。

節制のある生活に100歳まで生きるだろうと 子供たちは思っていました。
が、死は突然にやってきました。(つづく)




                          


これは、平成最後に写した、ジャスミンです。令和元年初日は雨が降っていました。

あっという間に2ヶ月が過ぎようとしています。

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