熊本には熊本日日新聞という
地元紙があります
その「熊日」には
熊本県ご出身の
武田真一アナウンサーの
「武田真一のおしゃべる多様性(ダイバーシティー)」
という連載があって
記事はどれも
興味深いのですが
一連の連載の中で
涙が出るくらい
ひどく感動した記事がありました
新聞を読んで涙するって
めったにないことで
今日はその武田さんの記事の一部を
みなさんにシェアさせてください
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今回は、僕の生涯最高の恩師、矢ノ下良子先生について書きたいと思います。
矢ノ下先生は、僕が中学1年の時の担任で英語の先生。入学式の後の初顔合わせの時、場違いなくらいに大きな声でこう言った。
「なにごとも『積極的に』頑張ろう!」
「積極的」という言葉は先生の一番のお気に入りで、その後黒板の上にも貼り出されたのだけど、思春期に片足突っ込み、斜に構えることを覚えた僕らにとって、正直やや気が重くなるものだった。
しかし先生は、そんな後ろ向きな僕らの気分のはるか上を行く明るさで圧倒した。
(中略)
ある日、昼休みに校内放送でビートルズの曲が流れてきた。僕は先生に聞いた。
「先生は、英語の歌の意味は分かると?」
先生は言った。
「うんにゃ。全然分からん。だけん、あんたたちに教えよっとたい」
「話せない英語教師」という負い目を、先生はずっと持ち続けた。そしてそれを隠そうともしなかった。
(中略)
就職して10年ほどたったころ、矢ノ下先生が上京してくることになった。先生の教え子が集まって麻布十番の洋風居酒屋で食事会を開いた。
乾杯をしたあと、先生は突然立ち上がり、みんなに聞いてもらいたいことがある、と言った。先生は定年後、英語をしゃべるようになるという夢を実現するためにアメリカに留学したのだそうだ。その成果を聞いてもらいたいというのだ。
先生は英語でスピーチを始めた。場違いなくらいに、明るく大きな声で。英語教師としての半生を滔々と語り続けた。僕らかつての教え子は、かつてのようにその姿に戸惑ったが、やがて聞き入り、最後は涙を流しながら拍手を送った。人生をかけて自分の望みを追い求める先生の姿に、何よりも大きな学びをもらった。
(後略)
熊本日日新聞
令和6年2月10日の記事より
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ここに語られた
武田さんの恩師
矢ノ下先生は様々な賞を受賞
2012年
国際ソロプチミスト熊本の
女性栄誉賞表彰式当日に体調を崩し
そのままお亡くなりになったそうです
武田さんが語ってくださった
矢ノ下先生の
「人生をかけて自分の望みを追い求める」お姿に
私は勇気と希望と感動をもらったのです
矢ノ下先生に私もお会いしたかったなぁ
そして共に英語を学ばせてもらいたかった
叶わぬこととはわかっているけれど
それほど魅力的な先生の姿が
武田さんの語りで
生き生きとよみがえっていたのでした
武田さんを通じて
矢ノ下先生に出会えたことに
感謝しています
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