たくさんの中のだたひとり
唯一無二の存在
「わたし」の物語
第1章~これまでの私~
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過去記事の復活作業も終わり、
今回は久しぶりの「人生物語」です。
ヨガの修行を積みながら
各地を転々としたあとは
非常勤職員として学校へ戻りました。
英語を教えること以外に
特別教育支援にも
携わる機会を持ったのが
この時期です。
そんなこんなを
あれこれやっているうちに
フルタイムでの仕事が決まり、
兼業は時間的にも体力的にもきつくなって
インストラクターの仕事を手放しました。
フルタイムの仕事というのは
ハローワークでの窓口相談員。
正式な公務員としての採用ではなく
期間業務職員の身分です。
後から知ったことには、
そのポジションは
(期間業務職員の中では)
給料のランクが最上だったらしいです。
ラッキーでした(笑)
職場の人たちにも恵まれ
仕事内容にも慣れて
このまま順調に進んでいくかと
思えていたら…
元々は仲良しだった人が
私が再婚したあと、
様子がおかしくなって。
無視するようになったんです。
私にとっては完全に謎の行動で。
理由を聞いても教えてくれないので
「なぜだろう?」と疑問を抱えたまま
次第に職場の居心地が悪くなっていきました。
他の人は特に変わりなかったし、
特定のその人だけが
勝手に反応していたこと。
そんなの放っとけばよかったのにね。
と今は思えるんですが
当時はその人にばかり焦点を当て
結果、
苦しさを自分で倍増させていました。
また、職務に関しても
年を追うごとに
高い再就職率を維持することに
プレッシャーを感じ始めます。
職場の誰もプレッシャーを
かけたりしないのに。
産業カウンセラーや
キャリアカウンセラーの資格も
片っ端から
自発的に取得していきました。
向上心があるとも言えますが
こうやって
自分が自分に対して
「もっともっと」と
重圧をかけ続けた結果…
どうなったかと言えば。
職場に対し
「憂鬱」と思うことが増えていき
好きで楽しんでいた相談業務さえ
続けることが苦しくなっていきました。
そしてとうとう退職することに。
7年目を迎えるはずの春のことです。
幸いなことに
次の転職先もすぐに見つかりました。
しかし
「あり方」や「考え方」が
変わっていないままでしたので
転職先でも
同じようなことで
苦しむことになるのでした。
次回第31回は
➡「できない自分」が許せない
です。
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あなたに笑顔をお届けできますように^^