検診センターからの「再検査に来てください」という電話で、「明日死ぬとしたら絶対やっておきたいってこと」を考えました。
そしたら、大まかに2つしかなくて拍子抜けしました。
愛している人たちに愛していると伝える。
お世話になった人たちにありがとうを伝える。
これだけでした。
私が今までやりたいと思っていたあんなことやこんなことは、「明日はない可能性は確かにあるけれど、当分は死なないと考えたら後悔しそうなこと」だったことに気づきました。
「生きる」前提。
じゃあほんとに「明日死ぬ」としたら?
今日最初にしたことは、ラインでした。
息子に送りました。
再検査の連絡があったこと。
「万が一」があるかもしれない。
だから、ずっと言いたかったことがあるので、この際言わせてほしいと前置きして書きました。
大好きで愛していること。
愛しいという気持ちを教えてくれた人だということ。
最後に色々ごめんなさいという言葉も入れて。
実際はもっとごちゃごちゃ書いているのですが(笑)
私にとってセンターからのあの電話は、渡りに船でした。
息子20歳の誕生日の2日前に会ったときに言えなかった言葉たち。
ずっと言えてなかった言葉たちでしたから。
「ありがとう。無事を祈っています。」
これを読んで「明日死んでもいい」と思えましたが、あとまだ「愛している」とか「ありがとう」を言えていない人たちがたくさんいるので、もう少し生きていたいというのが本音です。
そしてもし、今回の再検査の結果が「異常なし」ならば、今と同様、与えられた時間をまた楽しく過ごしていきたいと思っています。
いや、異常があっても、動き回れるのならば、やっぱり今と同じように動き回っているでしょう。
私は今でも幸せなのですね。
離婚して息子と離れて暮らすことになったからこんなに息子を好きで、愛していると思えてるのかもしれないです。
私、認めたくなかったけど、薄情で自分勝手な人でもあるので。
一方で愛情もたくさんあったりする。
いろんな私がある。
結局、人生って、どこをどう通っても「大丈夫」に行き着くようになっている
……のかも。
……たぶん。
……そんな気がする(笑)