私はお金が大好きだー(バレとる?w)
 
とか
 
私はお母さんが大好きだー
(敢えて「母」でなく「お母さん」)
 
とか
 
謎に認めずに生きてきた私、Leeです。
 
 
 

おととい、昨日と書いてきた記事の続き。

 
 
母にお金をくれと言って
罪悪感の川を恐る恐る渡った私
 
 
 
これを決行したのは
 
お金ほしいと言っても
勝手に拗ねて悲しんでたんだと伝えても
 
母と私の関係は大丈夫だと
 
どこかで思えていたからだろうし
 
やっぱり、
 
大丈夫だと
愛されていると
 
確かめたかったから。
 
 
そして最後は
「大丈夫」だと信じて
やってみるしかなかった!
 
 
一方で、母に
単なる守銭奴(否定はしない)
だと思われて終わりかも
と怖くてもあって
最初の言葉を言うときは
血の気が引いたのが自分でもわかった。
今でもその感覚を思い出すことができる。
 
それに昨日はすごく胃が痛くて
原因がわからなかったのだけど
その痛み
今回のタブーミッションのせいだったのではないかと…
食事もあまりできず、前日より1㎏も体重が減っていたポーン
私にはそれほどのことだったんです。
 
 
だって…
私、ずーっと
しっかり者で
頼りがいがあって
自慢の娘
の役割を背負ってきましたから。
 
その役割をおりるのは
母を悲しませそうで
また母を泣かせてしまいそうで
弱い私がバレてしまいそうで
今までの、どこか苦しくても
慣れ親しんだ母との関係が
崩れてしまいそうで
怖かった。
 
 
そして結果は
昨日書いた通り
「やっぱり」
愛されていたし
愛されているし
大丈夫だった。
 
 
 
 
で、実は昨日書かなかった舞台裏があり…
さぁでは銀行に行こうかという段になって
「こぎゃん雨が降りよっけん。やっぱり今日は行くのやめようか。」
と母が言い出した真顔
 
超~ウケるんですけど笑い泣き
 
さっきまでのことは何だったんですか?と思いましたよ。
 
涙も一瞬にして乾きましたw
 
「いやいや、この流れで「行かない」はないでしょー」
と私は母を銀行へ強制連行、ではなく、任意同行願いましたタイホー
 
 
えぇ認めます。
私はひどい娘です。
母も内心引いていたかもしれませんね。
 
 
 
まだ続きます(笑)
 
私は勢いづいていました。
銀行から戻ってからの、
次なるステップを考えていたのです。
 
Beトレ会員特典でもらったぢんさんの本
付属のDVDを車の中で聞いています。
 
 
 
福岡講演会に行ったときは
私、泣かなかったのです。
 
だから
 
あー、私やっぱり幸せだったんだ
 
とその時は思いました。
 
 
でもなぜだか時々やって来る
虚しさ
孤独感
自己嫌悪
 
 
 
マスター行ってよーくわかったのですが
私の拗ね、多いっ!
雨後の筍ポコポコポコポ
 
 
だてに50年間拗ねまくってませんからね。
鎧兜を着けたまま防御姿勢だったのでしょうね。
講演会のときは気にしてないようで
気にしてたんでしょうね、周囲を。
 
あーあの人すごく泣いてるな
なぁんて他の人の様子観察して。
 
あのときはまだ私が魔法の言葉を受けとる準備ができていなかったんだろうなぁ。
 
 
 
 
だって今車の中でぢんさんの後について
魔法の言葉を口に出していたら
涙が出てくるんですもの!
 
運転しながらウウッとくる(´;ω;`)
 
 
 
特に「欲しかった言葉」が刺さる刺さるイカリマーク
 
あーこれ、こういう言葉をかけてもらいたかったんだなー
 
って気づいて
(遅いけど今がそのタイミングだったんだろうね)
母にお願いついでにと
「欲しかった言葉」を
私にかけてもらうことにしました。
 
「ちょっとここから読んでほしい。私が昔欲しかった言葉があるかもしれんけん。」と
絶対あるのがわかっていて頼む私。
 
母はもうこれ以上何が起こるのかと
戸惑いながらも
「あー、めがね、めがね、小さくて読めん。」
と言いつつスタンバイ。
 
最初、母、棒読み、早口
 
「もっとゆっくり、小さい私に言っていると思って。」と私が要求。
 
仕切り直して
 
1つ目「楽しいね」と母
私、すぐ涙腺崩壊し「うん」
「お前の話は面白いね」「うん」
。・゜・(ノД`)・゜・。
・・・・・
「涙で字が読めん」と母
。・゜・(ノД`)・゜・。
「今日はあんたのあれ(ブログの文章)を聞いとったけん、もう今日は読めん。」
 
そこで終わりました。
 
それでも私は満足だったし
嬉しかったし
心が温かくなってた。
 
昨日あのとき
私の中の小さな私は
母の声をしっかり聞いていたと思います。
 
ずっと隠れていたけれど
ニコニコ笑って
おかあさん大好き
おかあさんありがとう
って喜んでたはず。
 
だって今は
ずっとずっとずーっと言えなかった
50年間一度も
一度もですよ!
言えなかった
「お母さん大好き」
が今は言える。
 
 
もうこれからは
弟ばかり可愛がられて
私は何かあったときの緊急要員で
愛情をかけてもらえない
そんな「かわいそうな私」は卒業して
愛されてきたし
愛されている私で生きていく
そう決めた。
 
私はもう自分でそう決めることができる。
自分に力を取り戻してもいい。
 
 
 
何度も書いていますけど
私、50歳の立派なBBAです。
そのBBAが今日75歳になった母親に
小さい子供に言うように
言葉をかけてもらったのです。
 
その歳で今さら何をやってるの?
と思う人がいるかもしれない。
これをこうやって書いてるのが
普通に恥ずかしい(/-\*)
 
 
 
 
でも「私は」やってよかったと断言するウインク
 
 
 
 
 
 
 
こうやって母をも巻き込みながら、私のマスターは進行中照れ
 
 
 
(おまけの話)
昨日ぢんさんの本を母に見せたときに
「何年か前にナイナイアンサーって番組があって、それに出とらした人よ」
と私が言うと、母は本の帯の写真を見て
「あー!この人知っとる!あの番組見よったもん。あーだこーだあーだこーだ」と。
 
私はその番組が放映されている時期、TVなしの生活をしていたので実は番組を見たことがない。
 
ぢんさんとの出会いは母に先を越されていたんだね爆笑