感動日記 五〇五二 念佛信心決定 令和八年九月十一日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

どうも此処のところ体調が思わしくありません。

三年前に狭心、二年前には胃癌で全摘してしまったせいもあり調子がよくないのです。

心は、ころころ、心は、そわそわ、心は、おどおど、心はびくびく、の不安定状態です。

そして俺の人生、これでよかったのだろうか、等の思いがごっちゃになっての不安なのです。

心身一如という言葉があります。

  

心が気弱になれば体の調子も悪くなり、体の具合が悪くなれば心も不安定になるという言葉です。

しかしその逆に心が安定して強靭になれば体までもが快活になる。

又、体が丈夫になれば引き連れられて心までが浮き浮きして毬が跳ね上がるかのように蘇ってきます。

元気という言葉があり、昨年ですが団扇に毛筆で「元氣」と書き知人に配らせて戴きました。

元気とは心の元と書き、心から信じられる宗とする教えが定まらない限りは真の元気は生まれません、というような意味合いでお配りしたのでした。

         

心がふらついているのは、信がまだ不安定な証拠なのです。

色々考えた処、念佛信心決定という言葉に行き着きました。

念佛信心決定とは、仏教において、阿弥陀仏の本願、すべての衆生を救うという約束を微塵も疑うことなく受け入れ、極楽浄土への往生が100%確実になったとハッキリ定まることを意味します。

親鸞聖人が開いた浄土真宗においては、人生の究極の目的とも言える最も重要な到達点です。

「信心」は自分の努力ではないここでの信心とは、自分が頑張って信じようとする心ではありません。

阿弥陀仏から必ず救う、まかせよ、と与えられた他力の信心を指します。

一念で定まるのです。

  

本願のいわれを「そうだったのか」と疑いなく聞いたその一瞬に、往生が決定するのです。

「ただ念仏を称えること」との違いは世間では「口で念仏さえ称えていれば浄土に行ける」と思われがちですが、浄土真宗では「信心が正因」であり、念仏はその喜びや感謝の現れと教えられています。

戴いた酒樽の底板に「信」の字を書き事務所の壁に飾らせて戴きました。