生きるとは死に向かって生きる事、又、死とは生きる事があってこその行き着き所です。
生と死は同じ器の中の物語なのです。
だとするならば生き抜く事こそが死ぬことなのです。
その時の心得は自然に逆らわずに生きる事なのでしょう。
生死とは大自然の中のドラマなのです。
人間、生きている以上は必ず死がわが身に迫ってくることを覚悟の上で生き抜く決心を心得なければならないのでしょう。
狂歌師と言われている大田南畝(おおた なんぽ・蜀山人)に「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」というの辞世の歌があります。
又、「生きすぎて 七十五年食ひつぶし かぎり知られぬ天地の恩」という歌もあります。
お釈迦は、当たり前の事なのですが人間は必ず死ぬという事を教えています。
幼子を亡くしたキサーゴータミーは、悲しみに打ちひしがれていました。
自分にとっての唯一の肉親。大切に大切に育てていた我が子。「どうして私だけこんな目に合わなければならないのか!?」嘆き悲しむ彼女は、現実を受け止められませんでした。
そして彼女は、村中を訪ね歩きました。「どうかこの子を生き返らせる薬を下さい」と、幼子の躯を抱きながら……。
彼女の境遇を知る者にとっては、彼女の行動は理解できなくはありません。
しかし、幼子の躯を抱きながら「生き返る薬をください」と、突然訪ねてきた彼女を見て、村人はどう思ったでしょうか?真剣に彼女に取り合ってくれる人はほとんどいなかったことでしょう。
中には親切な人もいたでしょうが、生き返らせる薬なんて土台無理な話です。
そうして幼子の躯を抱きながら彼女は、各地を彷徨い続けました。
そんな中、ある家を訪ねると「私はあなたの望む薬は持っていないけど、きっとお釈迦さんならあなたに薬を与えてくれる」と言われました。
そうして彼女はお釈迦さんと出会いました。彼女はお釈迦さんに「この子を生き返らせる薬をください」と訴えました。
お釈迦さんは「わかりました。その薬を作るには芥子の実が必要です」と言いました。
更に付け加えてお釈迦さんは言いました。「ただし、その芥子の実は今まで死者が出たことのない家からもらってくる必要があります」と。そこで彼女は家々を訪ねました。「芥子の実を分けてくれませんか?」と。芥子の実ぐらいであれば、香辛料としても使われるため、どこの家にもある代物です。
「いいですよ」と言ってくれる家はたくさんありました。
しかし、彼女は問います。「今までこの家から死者は出ていないですか?」と。すると家の人は応えます。「実はこの間おばあちゃんが……」と。そこで次のお宅へ向かい、また同じように尋ねました。「今までこの家から死者は出てないですか?」「実は何年か前に祖父が……」「実は何年か前に夫か……」「この子が生まれてすぐに妻が……」「何番目の子供が事故で……」「数十年前には父方の母が……」「そういえば父方の母の姉が私の生まれる前に……」そんなこと言えば、両親、祖父母、そのまた前……、死者の出ていない家なんてあるはずありません。 彼女は、各家を訪ね歩くうちに気がつきました。「死は誰にでもやってくる。自分だけが特別不幸に見舞われたわけじゃない。誰もがそのような苦しみを背負っていたんだ……」そして、彼女は抱いていた子供の躯を弔い、自分自身の人生を再び歩み始めました。
当たり前のことに気づかせてくれた、お釈迦さんの弟子として。このキサーゴータミーの話は、法句譬喩経(ほっくひゆきょう)と呼ばれるお経に載っています。













