感動日記 四二八二 部落別の鳥追い歌 令和六年七月二十六日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

弟が過去帳の一覧表を作ってくれました。

驚いた事に殆どの婚姻の嫁は同じ部落の中から迎えているのです。

従兄妹同士の婚姻も多くあったようです。

一、二回ならいざ知らず、長きにわたり繰り返してきたのです。

当然、一つの集落が一つの一族の集落になるのです。我が家の集落は溝尾という部落で隣りは槇という部落でした。

溝尾の部落は日馬一族が中心となった集落であり槇の部落は伊藤・小笠原一族が中心の集落でした。

 伊藤氏は藤原系苗字で日本で6番目に多い大姓です。

「伊勢の藤原=伊藤」ということで伊藤を称するようになったとの事です。

日馬一族対伊藤一族という集落魂が用水問題などでぶつかり合い裁判にもなっていました。

溝尾では槇の事を馬鹿にして「溝尾三輿、宮三つ、槇まんま、ね臭いまんま」というような歌までつくり卑下していました。

昔、一月十四日の夜に子供達が部落の神明神社に集まり「鳥追い歌」という行事を行いました。

部落の米を食べる雀を部落から追い出す行事で太鼓を敲きながら「鳥追い歌」を歌いながら部落中を回るのです。

多分夜に二回位回ったと思います。

この鳥追い歌の歌詞が隣村の歌詞と少しづつ違うのです。

溝尾村では「鳥追いだ目を覚ませ、おら前のわせぼに鳥がついたホーイホイ、追ってもたたず、たたいてもたたず、たたずの鳥は尾っぽ切って頭切って俵につめて牛っこにふませ猿っこに追わせ佐渡島へホーイホイ」とのものでした。それが槇部落では「たたずの鳥は、かしら切って、しら切って小俵につめて牛っこにひかして猿っこに追わして佐渡島までホーイホイ」(歌・能生町史)と少し文句が違うのです。

お神楽なども部落によって異なっているようです。

これも部落同士の結束力の強さからの結果からなのでしょう。