今という字は、ある物をすっぽり覆い含むさまだそうです。陰という字にも今が含まれています。
陰は、お陰さまなどと使われます。
今の心と書いて念とも書きます。
我々は諸行無常の時と変わりゆく森羅万象の中で縁があり生かされて生きています。
決して自分の力などでは生きていられる恥がない摩訶不思議な縁で命を戴いています。
お陰とは他の力の事ではないでしょうか。
その他の力から生まれた己は時を、今を大切に生きなければならないのでしょう。
事務所の書類を整理していると坂村真民さんの「今」という詩がありました。
昨日、田圃の回りの草刈りをしている老人を見かけました。
多分、彼は何も考える事なく唯々草刈りをしているだけのようでした。
しかし、それは極楽の様子にもみえたのです。
しかし多分、今が極楽だなどと思っておられないのではないでしょうか。
この時、お念仏を称えたいような気持になれば極楽浄土が表われてくれるのではないでしょうか。
真民さんの詩を読んでみると六波羅蜜寺の空也上人の口から念仏がメロデーとなって表われ、歩く姿が思い出されるのです。
今の中に地獄も極楽もあるのでしょう。