感動日記 四二五九 中心について  令和六年七月三日 | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

時計は右回りという。

正面から見るのが普通であるから右巻きなのですが裏から見れば左巻きとなるのです。

左右は見る場所方向によって逆になるのです。

アサガオの巻き方の方向について、生物学者の人々はどのように呼んでいるのでしょうか。

日本植物生理学会の「植物Q&A」で確認してみました。

こちらによると、かつてアサガオは「左巻き」と定義されていたそうです。

しかしながら、1970年頃、「植物のつるの巻き方もネジの巻き方と同じにしたほうが良い」との意見が出て、以後この考え方が浸透し、「現在ではアサガオは右巻きと云うことになっています」とのことです。

事務所の入り口の山芋の茎の巻き方は右巻きです。

人間のつむじも殆どの人は右巻きでつむじが二つもある人がいるそうです。

ツムジという字は旋毛(つむじ、せんもう)と書くそうです。

旋毛曲(つむじまがり)という言葉があります。

 

① ひねくれていて素直でないこと。また、そういう人や態度、様子、性質など。つむじねじれ。

② 性質が風がわりで普通の人とはちがっていること。また、その人やさま。

今まで余り気にする事なく使っていた言葉に中心と言う言葉があります。心の中と書きます。

心の中に真実があり、その真実を明らかにしよう、という様にも感じられます。

心、ころころと転がるからこそ真なるものを極めよう、とも読めます。

中心とは一つ、求めるものは真実なのです。

その答えは「天上天下唯我独尊」という仏説無量寿経に出てくる言葉にあるのではないでしょうか。

「我まさに世において無上尊となるべし」人として生まれたからには仏を目指しなさい、それを心の中に充満させなさい、とお釈迦様が教えられておられるのではないだろうか。