「人間は考える葦である」とはパスカルの有名な言葉です。
逆に言えば考える事のない人間は人間ではないというのです。
所で人間の多くの人は考えて生きているのであろうか。
いや殆どの人は考える事なく時の流れるままに煩悩の赴くままに生きているのではないだろうか。
さて考える葦とは何を考えて生きなさいと言っているのでしょうか。
多分、考えるとは如何にしたならば自らが成長することが出来るかという事なのではないでしょうか。
成長しなければ考えは止まってしまい人間ではなくなってしまいます。
その人間の成長とは精神的な心構えのようです。
究極的には、貴方は何のために生きているのですか、又、貴方に死が宣告されたならばどのような気持ちで生きられるかの二点が問題提起なのではあるまいか。
仏教とは己とは何者か、を問う教えだとも言われていますが正に仏教の教えの中にこそ生死を超越して生きるヒントが秘められているのです。
人間は脳の10%しか使っていないそうです。
残りの90%を使えたら、どれほどのことができるのでしょうか。
人間の脳は刺激次第で大きく成長するという事です。
さてその刺激とは殆どの場合は己にとっての苦の刺激からの成長ではないだろうか。
苦が訪れなければ成長は出来ないのでしょう。
故に山中鹿之助は「我に七難八苦を与えたまえ」と神に訴えたのでしょう。
しかし幾らもがいたとしても縁が訪れなければ苦はやってきてはくれないのです。
人間はただただ懸命に今を生きてこそ、苦の縁が佛さまの方から訪れて下さるのでしょう。
辛いことが多いのは感謝を知らないから 石川 洋