感動日記 四一七七 恨みの復讐 令和六年四月十二日 | 雨にも負けず菩薩道

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東京十五区の補選が熱を帯びてきました。九日の読売新聞に大きく記事が載っていました。

所が今、脚光を浴びている日本保守党や飯山陽氏の記事が全く書かれていないのです。

故意に名を全く出さないのです。ネットを見ると「これでは読売はNHKと大差ありません。

てつや3月31日、日本保守党の街宣にはこれだけの人が集まっているのに、読売新聞は日本保守党や飯山あかりの名を全く出さないようにしている。

果たしてこれで真の報道機関と言えるのか?」と言う記事が掲載されていました。

一瞬ですが読売新聞とも有ろうものが北朝鮮やロシア、中國と全く変わらないのではないかと思ってしまいました。

調べて見ると飯山あかり氏は日本の大手の報道機関は国際情勢など全く分かっていないというような評論を本にまで書いているのです。

いわばそれに対しての反発であり恨みなのです。↓ ↓ ↓

東洋人は小柄です。故に腕力では西洋人にはかなわない。

本州に住むツキノワグマは平均的な個体で、頭胴長は110~130センチ、体重はオスが80キロ程度、メスが50キロ程度だそうです。

それが北海道に生息するヒグマは成獣で頭胴長は200~230センチ、体重は150~250キロとされています。

記録によると、2002年に斜里町で捕獲されたオスは、体重400キロもあったといいます。

日本では最大の陸上動物だそうです。

ホッキョクグマの大きさは異常に巨大で、地球上で最大の陸上肉食動物です。

オスのホッキョクグマの体重は通常600kg前後ですが、記録に残っている最大のものは1000kgというとんでもないものでした。寒い所の生きもの程大きくなるのです。当然、大きさは強さに繋がります。

人間も同じ動物です故に寒い国の民族は腕力にものを言わせるように自ずとなってしまうのです。

その根本的な民族性から戦争が絶えないのではないだろうか。

 

大和民族は縄文時代の一万年以上も平和な暮らしをしてきた戦いを嫌う優しい民族です。

そのような民族は世界にはいません。

世界一の文化を誇り戦を好まない大和民族の縄文時代の7300年位前ですが鹿児島の南にある海域で鬼界カルデラの大噴火が起こりアカホヤと呼ばれる火山灰は東北地方まで達しました。

早期縄文時代の縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられています。

その後、1,000年近くは無人の地となったようです。

当然ですが海洋国でもあった縄文人は船で世界中に逃げ散ったのです。

わたしが思うには、それが南米の国々でもありました。インカ帝国もその一つです。

 

しかし戦を好まない大和民族の血を引き継いだインカ民族は侵略を優先するスペインのピサロに一五三二年に征服されてしまうのです。

平安時代の法然上人の生い立ちこそが人類の平和をもたらす礎だと思っています。その礎とは法然上人が九歳のとき、父親が敵に殺されたのです。この経験から、法然上人は僧侶になることを決意したと言われています。

法然上人の父は武士であり、現在の岡山県の美作で警察署長のような役職に就いていましたが、ある日、敵に襲われ死んでしまったのです。その父が臨終の際に法然上人に言った言葉が「報復せず、仏道を歩め」だったそうです。

当時の武士階級では、父や母が殺された場合、息子は親を殺した者を殺して復讐することが許されていましたが、かって仏教の教えを聞いたことがあった上人の父は、「怨みは怨みによっては、決してやむことがない。

怨みを捨ててこそやむ、これは永遠の真理である。」というお釈迦様の言葉を上人に伝えたといわれています。

もし法然上人が敵を殺せば、その敵の息子が法然上人に報復し、それは決して終わることがありません。それで上人の父は、上人が僧侶になり仏道を歩まれるように願われたのです。

父の死後、法然上人は僧侶となり比叡山の僧侶となりました。

この法然上人の父が覚えていた法句経の句は、仏教徒が怒りや憎しみに対してどのように対処するかを教えてくれています。

受けた暴力や暴言に対して、報復をしない、ということは時に難しいかもしれません。

けれども、仏教徒としてできる限り、恨みを捨てるように説き努力し教育しなければなりません。

教育はこの為にあるのです。