感動日記 四一七四 死の恐怖  令和六年四月九日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

命は一瞬にして、この世から、さらばする事もあります。交通事故も同じです。

七年前ですが有名な聖路加国際病院名誉院長の先生が呼吸不全で105歳で亡くなられました。

先生の父親は牧師さんで先生もキリスト教の信者でした。

先生が死を目前にしてのインタビューを受けた時の番組で記者の死に付いての質問に対して「死は怖くて恐ろしい」と素直に答えておられました。

失礼ですがキリスト教では死を超越する教えがないのだろうか、仏教は果たして有るのだろうか、疑問に思いました。

25年前に父が胃癌で亡くなりました。

家族にだけ、先生から余命一ヶ月位だと告知されていました。或る日、父から怖くは無いから「後どれ位生きれるか」教えてくれ、と言うのです。

今までの、父の生きざまを考えての咄嗟の判断で、わたしは「一ヶ月位」だと答えてしまいました。

今でも、言わなければ良かった、と思ってもいます。

両親は一人の赤ん坊が生まれ戦前は三人で北朝鮮にいました。

終戦になり三人でロシア兵に追われ38度線を山越えで死ぬ思いで逃げ延びてきたのです。

帰国後には赤ん坊の長男は風邪をこじらせ亡くなってしまいました。

死ぬような思いが何度もあったという事が、死の恐怖を和らげるのではないだろうか。

私は既に本当は死んでいるのだ、たまたま生かされて生きているのだとの思いが恐怖を和らげるのかも知れません。

そして祖父も父も仏法で言う法悦の境に至った事があると聞いていました。

生きている事、仏法に巡りあえた事が嬉しくて涙がとめどもなく出てくる悦びを知る事ができたと言っていました。

その事も死の恐怖を恐れない原因だったのではないでしょうか。

法然上人の平安時代には京都では大飢饉に見舞われ、養和の飢饉では京都市中の死者は4万人以上にも達し、人肉を食べる者もいたそうです。

生きる事は地獄だったのです。

その時に法然上人が深い思索から浄土宗を立宗しました。

お念仏の南無阿弥陀仏を口に出して称えれば、必ず仏の救済をうけて生きているままで、浄土に生まれることができる、という他力の教えを広められました。

阿弥陀仏は、布施、持戒その他の行を選び捨てて、専ら名号を称えることを選びとって往生の行と定められたのです。

地獄を浄土に転換させたのです。

妙好人と言われる人がいます。私の祖父は曹洞宗の寺の総代を何年もやっていました。

本来で有るならば南無釈迦牟尼と称すべき所を風呂に入っていても、事あるごとに南無阿弥陀仏と念仏を称えていました。嫁に行った妹のお婆ちゃんも同様でした。

これといった修行をする事もなく、自らの煩悩を自覚していたからこその念仏ではないでしょうか。

修行も出来なく煩悩だらけの人間が死の恐怖を超越できるのはお念仏の教えの中に秘められているのではないでしょうか。念仏者は無碍の一道なり。怖いものとは己の心の中にいるようです。