仏教では奇跡という言葉は使いません。
何故ならば事の成り行きの出来事が何の理由もなくあらわれる事であり今迄の出来事とは一切かかわりがなく突然あらわれる現象の事なのでしょう。
いわば因果の法則を否定する言葉です。
歎異抄の冒頭の言葉に「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて」という言葉があります。
弥陀の誓願は人間の思考では思いはかる事が出来ない、というのです。
しかしこの不思議の中には真実が秘められているのです。
それが縁の不思議という事なのでしょう。
何故、貴方は今の妻と一緒になったのですか、との質問に対しての答えは縁があったからという事でしょう。
その縁はどうして生まれたのですかとの質問に対しては不思議な出来事でした、とでもいう答えになるのではないでしょうか。
この世に私という人間が生まれてくる確率は一説によると、50兆~80兆分の一だそうです。あり得ないことがこの世に起こっているのです。
これこそが奇跡だ、と言いたくなってしまいます。
しかし真実は全ての現象は原因と縁が重なり合って結果として現れているのです
決してトンビが鷹を産むような事はないのです。
故に今を一生懸命に生きましょう、これこそが人間の生きる道であるという事なのでしょう。