啓蟄(けいちつ)は二十四節気のひとつです。
春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫たちが外に這い出てくるころのことです。
「啓」には「ひらく、開放する、夜が明ける」などの意味があり、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味があるそうです。
今年の啓蟄は、三月五日から三月十九日だそうです。
読売新聞の動物日記にコブハサミムシについて書かれていました。
何とこのハサミムシが四月を迎えるころ、卵から孵化した子供が母親を食べてしまうそうです。
母親はどうせ死んでしまう運命であるならば子供の為に犠牲になって子孫繁栄できる事がなによりなのでしょう。
所でカマキリのメスは交尾中にオスを殺して食べてしまうそうです。
さて虫たちの事はさておいて吾々人間に「貴方は生きる価値のある人間ですか」との質問を受けたならばまともに答えられるであろうか。
それを分かろうとするには般若心経が示すように修行しなければ分からないとする聖道門の教えと、阿弥陀如来の本願を信じる浄土門の教えの二道があります。
さて吾々、罪悪深重煩悩熾盛の凡夫が果たして修行などできる身であろうか。
歎異抄に「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」
親鸞が修行も出来ないわが身は地獄に落ちるしかないのである、と嘆き悲しむのです。
それでこそ阿弥陀仏の本願が光となってわが身に押し寄せてくるのでしょう。
人の命は尊いという何故、尊いかといえば人には誰にでも仏心が備わっているからなのです。
どんなに悪人であったにしても仏心が潜んでいるのです。
仏心とは世の中の為になりたいという心の事です。