感動日記 四三六五 命は平等 令和五年四月二十三日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

宇宙に生命が存在するのはもしかすると地球だけかも知れません。その地球上の生きものが他の生きものを食べなければ生きてはいけない運命を背負ってしまったのです。この事は悲劇です。

故にどの様な生きものも殺生犯の地獄往きの生物です。まずはこの事を押さえておかなければ命は平等などとは語れません。

他の命を奪わなければ生きてはいけないという事は、命は平等であるという事とは逆行します。命の尊さに優劣はないのではないでしょうか。

昔、身内に元僧侶である兄がいました。東京で解体業の仕事をやっていました。そこで学生の頃に建物解体のアルバイトをやらせてもらっていました。ある住まいの台所付近を解体しているとゴキブリの巣らしく大小のゴキブリが、ワサワサ出てきました。足で踏みつぶしていると兄がそれを見ていて咄嗟に頬っぺたを叩くのです。そして馬鹿野郎、どんな生きものの命は平等なんだ、それを足で踏み殺すとは何たることだ、というような言葉で叱られました。

このような事は人生の大問題のはずです。

神が人間を創った故に人間が最も尊ければゴキブリを殺しても何の悪行にはならないとはキリスト教の教えなのでしょうか。だとするならば納得がいきません。しかし世界のキリスト教の信者が三十一%もおられるのです。

生きものとしての人間は今までに間違った教えのもとに人類は生きてきたのではないでしょうか。

人類にとって命は平等であるという問題を明確にしない限りは人類の将来はないのではないかと思われます。