感動日記 3654 人間と煩悩 2 4/16  | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

人間とは、どのような生きものであるかを見極められなければ、助かる道は定まらないと思います。

人間とは煩悩を打ち消す事、無くする事、空なる事と思う事で生きるのが理想的なのでしょう。

しかし、多くの人と共に大きな船に乗って彼岸の渡ろうという考えが大乗仏教なのでしょう。

一人だけが座禅を組み、その域に達したとしても、人間としては、何か忘れ物をしたような気持ちが湧くのではないでしょうか。

ある僧侶が座禅など組んでいい気になっているんじゃない、苦しみ抜いている人達も多くいる、一人でも助けて見よ、お前の事など二の次なのだ、それが僧侶の勤めなのだ、と言うような事を語り、日本の僧侶に喝、と言っておられました。

もう一つの考えは人間とは幾ら修行をしたとしても煩悩と欲望は無くする事は出来ない、生きものであるととらえられたのが親鸞聖人です。

「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるゆゑに、虚仮の行とぞなづけたる」

(悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。だからたとえどんなよい行いをしても、煩悩の毒がまじっているので、いつわりの行というものである。)

「煩悩にまなこさへられて、摂取の光明みざれども、大悲ものうきことなくて、つねにわが身をてらすなり」

(煩悩という色眼鏡をかけて物事を見ているわたしたちは、阿弥陀如来の救いのおはたらきに気付くことができませんが、私を救おうとしてくださる広大な慈悲は、怠ることなくこの私に向けられているのです。)

阿弥陀様を忘れている時、喜びを感じない時、煩悩が燃え盛った時、この時こそ阿弥陀様が見守って下さっておられるのでしょう。