最近はコロナで皆さんがマスクで口と鼻が隠れて見えません。
所でマスク姿の若い女性が皆、美しく美人に見えてしまうのは、どうしてなのでしょうか。
私だけではないようなのです。
それは男性が女性に対して美しくあって欲しいという理想が、そのような気持ちにさせているのではないかと思えるのです。
最近、同業者の若い女性と3度ほど会ったり地主さんの所に車で同乗したりもしましたが、道で、すれ違ったとしても彼女だとは分からないのです。
目は口ほどにものをいう、とは言いますが、やはり目、口、鼻そして顔形が見えてこそ、その人の人相が明らかになるのです。
故に最近は初めて会う人にはコロナがうつらない程度の距離の時にはマスクを下げて顔の全体が見えるようにして会ってから近づいてからマスクをするようにしています。
老人のケァーハウスの玄関に数人の老人が車椅子に乗って外を見ていました。
何かの順番待ちなのでしょう。
老人たちは皆、口を開けっぱなしの人や、どう見ても、この世の人ではないように思えたのです。
何でその様に思えるのかと言うと目が空ろで、謂わば目が死んでいるのです。
暫く前ですが、老人ホームで数人の人が殺されました。
この世に生きていて皆に迷惑をかけるようならば早く亡くなった方が社会の為になる、という考えの元に事件が起きたのです。
又、長年の介護に疲れて親を殺して自らも命をたつ、などの事件も多く聞かれます。
この様な事件は人間の根幹にかかわる問題です。
只単に殺人を行ってはいけない、という結論ではないように思われるのです。
例えば病気で長年苦しんできた親が、子供に、もうこれ以上、苦しみには耐えられない、この痛さには耐えられない、どうか私を殺してくれ、と子供に頼む事もあるでしょう。
そして子供が親を苦しみから解放させてあげた、としたならば親思いの子供ということになります。
父の従妹で重度の小児麻痺の女の子がいました。
その母親は美しい人でした。
その母親が、どうしてこのような子を産んでしまったのだろう、産まなければよかった、この子がいなければ、どんなにか幸せになれたであろうに、子供を殺してしまいたい、とも思ったそうです。
その様な醜い気持の己に対して苦しみ抜かれたそうです。
そして、ついにこの子供が観音さまに見えた、と言うのです。
当然、彼女の暮らしが様変わりし毎日が明るく、観音さまである子供と共に生きて行くことができたそうです。
その話を母親である彼女から聞いた事がありました。