人間には果たして生きる権利というものがあるのだろうか。
義務と権利という言葉があります。
権利ばかりを主張する人には魅力を感じません。
何故かと言うと義務を果たす事を忘れたり、怠っているからです。
幸せの源は「お陰様」「有難う」「勿体ない」と言ってもいいのではないでしょうか。
全てが感謝からの想いなのです。
教育とは教えを育むという事です。
教えの根本は、人が幸せになるには、どうしたならいいかを学ぶ事です。
果たして今の教育はその事を教えているのでしょうか。
日教組の先生に将来の宝の子供を教える資格があるのでしょうか。
今般のアメリカ大統領選における司法の最高裁についても悪を畏れ逃げて結論を出さないのです。
司法としての役目を果たさないのです。
最近の若者は元気がないように思われます。
善い悪いは別にして政府に盾突き、日本の将来を考え大規模なデモなどもありましたが最近では、ばかばかしい、勝手にしやがれ、俺の知った事か、というような若者が多い様に思えるのです。
人の為に、国の為に、世界平和の為に、人類の為に、などの気持ちが薄らいでいるように思えてしまうのです。
自らが幸せを放棄しているようです。
ジャフメイトの雑誌に稲垣えみ子さんの「幸せって何だろう」の記事がありました。
「人は自らを幸せにすることは出来ないのであります。
だって幸せになろうとするとは何かを期待すること。
そして期待は常に裏切られる。
他人がいつもあなたの都合よく動いてくれるなんてあるわけない。
だからあなたはいつも失望する。
幸せになろうとするそのものが不幸の元になってしまうわけですね。
なのでまずはすっぱり諦めることだ。
ナニ大丈夫。
あなたにも出来る事がある。
それは人を幸せにすることだ。自分が幸せになれない分、相手に幸せになってもらうのである。
―全力で感謝の意を表明してやろうではないか。」
情けは人の為ならず、という言葉があります。
人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分に返って来る、という諺です。
何故、人に情けをかけ親切にすれば己が幸せになるのでしょうか。
それは誰でもが奇跡的に生まれた有る事難し、の命を授かっている人間だからなのです。
誰でもが、お陰様の命を戴いて生きているからなのです。
その事に目覚めて下さい、というのが、お念仏なのです。
阿弥陀仏は常に全ての衆生に光を与えて下さっておられるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏