関宿の台町に光岳寺という徳川家康の母、於大の方の菩提寺が有ります。
県道から200mも一直線に入った突き当りに大きな地蔵菩薩があり、左奥に光岳寺があります。
当山は、天機山 傳通院 光岳寺 と称し 浄土宗のお寺です。
開基は徳川家康の異父弟 松平康元が天正18年(1590)初代関宿城主になられた時に、母君(於大の方、家康と康元の生母)の孝養と子孫繁栄等を祈り建立されました。
正一位於大の方(傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼)は慶長7年(1602)8月29日に逝去されています。
開山上人は、関東十八檀林の一つである水海道 飯沼 弘経寺より導蓮社玄誉上人善慶天機大和尚を迎えています。
当山は建立当初は弘経寺と称していましたが家康公の命により於大の方の戒名よりとって「光岳寺」と改めるようにいわれ、以後、康元は「光岳寺」と改めて於大の方の菩提所と定めました。
於大の方の御遺骨は東京小石川の傳通院に葬られており、家康公により菩提寺と定められました。
当山には於大の方のために建立した御守仏地蔵尊と御歯骨、御位牌等が康元により奉納されています。
現在、御守仏地蔵尊は延命子育地蔵尊として信仰されています。
当山には他に、家康公の御位牌・関宿藩士で勤王の志士である「杉山対軒」の顯彰碑と対軒直筆の額及び第7代関宿城主であった牧野信成が、父である康成のために建立した供養塔が残っています。
所で、自分の毎日の心の中はどのようになっているのだろうか。
全てと言っていいほど煩悩と欲望、自己中心的な心で一日を過ごしています。
そして食事と称して多くの生命の命を奪っている殺生犯なのです。
しかも肉類は自分では殺生せずに人に殺させて、さも自分は殺人犯ではないと思って食べ多くの生きものの命を奪っているのです。
当たり前だと思って、考えもしないのです。
そのような自分を振り返り見つめた時、真実は常に奈落の底に落ちているはずなのです。
ただ平然と生きているのは己を見つめないだけなのです。
己を見つめないのは真実を放棄しているだけです。
神社には大きな鏡が大抵、正面に置いてあります。
その意味は醜いお前の心を、この鏡に写してみよ、との神様からの贈り物なのです。
深く深く己を見つめ己の暗闇を明らめる時、どうしようもない悲壮感と孤独性から黄泉の国からお呼びがかかってくるのです。
その時、稲妻の如くに摩訶不思議な光が指し込むのです。
暗闇が有ればこそ、一筋の光が煌々と輝き見えてくるのです。
その光が阿弥陀仏の光なのです。
その光が見えるや否や暗闇に黄金の光が輝くのです。
これを極楽浄土と言うのです。
常に忘れるでないぞ、と南無阿弥陀仏という、お念仏をご用意して下さっておられるのです。
お地蔵さまも、人を黄泉の国、死の世界から救って下さるのではなく、生きている時に阿弥陀様と一緒になって地獄から救って下さる仏さまなのです。