感動日記 3411 仏教の大改革 令和2年8月17(月) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

日本の主な仏教宗派は13派あるのだそうです。

そして僧侶が何万人もおられる事でしょう。

さて、その僧侶の中で私こそが僧侶だと胸をはって言える人は何人位おられるのでしょうか。

平安時代から鎌倉時代にかけて法然上人という人がいました。

比叡山で修行をされていましたが今までの仏教では大衆は救われないとの大乗仏教の精神から念仏の教えを広められた方です。

当時はまだ仏教の宗派はそれほど明確ではなかったようでした。

この教えこそが真実であると信じられたならばその教えに入信したようです。

法然上人が、五十四歳の時、大原の里で天台宗の 顕真の発案で上人の主張を聴取し、たがいに意見を交換しようとして、三論宗の明遍、法相宗の貞慶、天台宗の証真や湛がく、さらに嵯峨往生院の念仏房、東大寺大勧進の俊乗房 重源 らを洛北大原の里、勝林院に招じて会合を催しました。

世にこの会合を大原談義と呼んでいます。

ときに上人は居ならぶ各宗の碩学を前にして、諸宗の法門、修行の方軌(正しい法則)、得脱の有様についてのべ、さらにこれに対して浄土の法門こそ現今、万人に適した、ただ一つの教えで時機相応 の法門であることを強調されました。

この主張は「教えをえらぶにあらず、機をはかろうなり」という上人のことばどおり、いくら教えの優秀さを誇っても、末法の今どき人間の性に翻弄されている自分自身に堪え得ない教えであるならば、その教えは存在理由を失ってしまうというものでした。

成等正覚という深い宗教体験に輝きたもう大聖釈迦牟尼世尊が、すでにこの世を去りたもうて、その人格のひかりは時の経過とともに次第に消え去った現今、そのひかりに包まれながら直接その教えを仰ぐことができない、いわば教えを乞う師大聖釈尊をもたない自分、しかも人間の性にふりまわされている自分にとっては、ただひたすらに時機に適した教え、現在仏であり、しかもすべての 群萌をもれなく救いとろうとなさる阿弥陀仏の本願のみこころのままに、そのみ名を南無阿弥陀仏と高声にとなえるよりほかに、出離生死の道はひらかれないという、上人ご自身の体験からにじみでた意見をのべました。上人のこの主張に対して共感をもっても、反駁 すべき道理は微塵もなく、来聴者に深い感銘を与えて、この会合の幕は閉じられました。

顕真や湛がくはただちに発起して、勝林院や来迎院で不断念仏を始めるという、予想だにしなかったもりあがりのある結果をみるにいたりました。これこそ上人が「機根くらべには源空かちたり」という述懐を証してあまりあると言えましょう。

ともかく大原談義は一種の浄土開宗の宣言として、伝統の厚い壁の一画をうちくだいたことを意味するのです。

それは上人が比叡山を下りられて十二年目の出来事でありました。

そのような法然上人は大宗教改革を行ったのです。

そして上人の弟子である親鸞聖人が更に上人の教えを深めたのです。

奈良仏教も平安仏教も国家の鎮護のための仏教であり加持祈祷、修行の仏教から凡夫であろうが悪人であろうが誰でもが煩悩を断せずして救われるお念仏の教え、これこそが大乗仏教の道であると説かれたのです。

この事は人類の日本の世界の宝物なのです。

そのような法然上人と親鸞聖人の教えを信じない方が可笑しいのです。

道理としては分かっていても自我の方が優先してしまい己の方が法然上人や親鸞聖人よりもかわいいのです。

その自我をぶっ壊すためにもお念仏があるのではないでしょうか。