恩とは、他の人から与えられた恵み、いつくしみのことです。
この恩という言葉には適切な英語はないそうです。
故に西洋文明は権利の主張が優先して義務の方がおろそかになってしまったのではないでしょうか。
角川の漢和辞典で感謝という言葉をひいてみました。
所が感謝という言葉が載っていないのです。
つい中国民族には、習近平には感謝などという言葉がないのかも知れないと思ってしまいました。
多分、入れるのを忘れてしまったのでしょう。
大きな失敗の辞書です。
わたしが気になる言葉が有ります。
それは感謝、報謝、報恩という言葉です。
その言葉は謝って報いて恩に答える、という一連の言葉のように思えるのです。
さて謝るとは何に対して謝るのでしょうか。
我々は毎日、多くの生きものを食べ、命を奪って生きています。
それが当たり前だと思い、平気で生きていますが、本当は大殺生罪の極悪人なのです。
そのような人間が何故、生きて行かなければならないのでしょうか。
その答えが感謝、報謝、報恩という言葉の中にあるのではないかと思うのです。
謂わば懺悔という、ごめんなさい、ありがとうございます、という心ではないでしょうか。
お釈迦様の涅槃像をみるとお釈迦様の死を悲しみ多くの天女やお弟子さん達が集まっています。
しかしよく見ると多くの動物、鹿や鼠に鳥、猪に蛇などのも、お釈迦様の死を悲しんで集まっているのです。
お釈迦様も人間です。
彼等、動物の肉も食べられた事もあった事でしょう。
にも拘らず集まっているとはどういう事なのでしょうか。
それは、お釈迦様が釈尊となられて大慈悲心をお持ちになられたからではないでしょうか。
所謂、人間の優しさではない佛さまの優しさを得られたからなのです。
報恩とは釈尊の大慈悲心である佛さまの教えを信じる事こそが多くの生きもの達に対しての恩還しであり恩に報いるという事ではないでしょうか。