感動日記 3398 宿業と性 令和2年8月4日(火) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

業とは、未来に善悪をもたらす行為。特に現在の災いの原因をなす過去の悪行であり、宿業も前世の報い、という様な意味であり同様の意味のようです。

同じような言葉に性という言葉があります。

生まれつき持って生まれた性質という意味で業の様な過去や善悪は関係がないようです。

とっときの話ですが女性の陰毛は何故退化しないのかというと昔、人間は四つ足で歩いていました。

おしっこをすると陰毛に伝わりこぼれ広い範囲に匂いが拡散され、より強い男性に巡り会える、という人類の子孫繁栄の為に退化しないで残ったと聞いています。これこそ性のせいでしょう。

わたしはさて人生とは、己とは何者かを追求するのが仏教だとも言われています。

人の事はよくみえますが自分の事を振り返りみる事もいたしません。

 

録音テープで自分の声を聴いて、びっくりします。

まるで別人のように聞こえます。

わたしは人間とは何か、人間の心の闇とは何かについて極められたのは親鸞聖人ではないかと信じています。

親鸞聖人の師匠である法然上人や親鸞聖人と私とではどちらの方が、頭がいいのでしょうか。

どちらが人間とは何者かを深く思案する事が出来ているのだろうかを考えた時、自ずと、軍配は法然上人や親鸞聖人の方が、わたしとは月とスッポンの違いなのです。

であるならば、諦めて、引導を渡されているのですから、法然上人や親鸞聖人の教えを信じる事こそが人生なのではないでしょうか。