武漢コロナで企業は在宅でのテレワークやテレビ会議などが多くなる事でしょう。
しかし実際に、お互いに向き合っての対話とは異なります。
そこに落とし穴があるのではないでしょうか。
人は現実に行きあっての対話でなければ雰囲気や空気を読み解く事は出来ないのです。
理論的な理積めだけでは経営はうまく働かないのです。
わたしの生家は茅葺で大きな家でした。
縁側が二か所もありました。
一つは表の庭に出られ、もう一つは、お仏壇と床の間のある奥座敷からの立派な縁側でした。
外には祖父がつくったのでしょうが岩肌から水が流れる池がありました。
ひょうたん型の池には石の橋もありました。
縁側からの眺めは自然との一体感を感じさせる魅力がありました。
その縁側で父が子供の頃に家族皆で撮った写真が有りました。
家で一番の撮影場所だったのです。
当然、お客様をお迎えする所としても最高の場所なのです。
茶道の精神にも通じる空間なのです。
しかし日本の家屋としては殆ど使われない無駄な所でもあるのです。
今になって思えば心の支えとして家と庭のバランスが何かを教えてくれているようです。
所でテレワークなどでは当然無駄な縁側のようなものは一切省かれてしまいます。
今まで歴史の残るような人物がテレビ会議などを使っての対話などでは歴史に残るような人物は生まれなかった事でしょう。
人間とは相手の総合的な魅力を肌で感じ同感し共に生き甲斐を求める生きものなのです。
謂わば相手の雰囲気、空気を読んでこそ人生のドラマが生まれるのです。
企業の仕事においては簡単な仕事においては在宅ワーク、テレワークもいいでしょうが、それがマンネリ化する事で肝心な事がなおざりにならないように心がけておく事が大切だと思えるのです。
人間とは人との出会いがあってこそ成長するのです。
その出会いには無駄な事もある事でしょうが、その無駄の中に人生の光の輝きが隠されているのです。
縁側での昼寝は乙なものです。
縁側には移ろう場所、くつろぐ場所、眺める場所、暖まる場所など、数々のすてきな特性を縁側は備えています。