昔、米が2俵多く採れたので父に連れられて新潟から東京見物に行きました。
上野の地下道などには乞食や戦争で片足のない人など物乞いの人が多くいました。
その時に父が、どのような人も縁によって皆ここにいるのであって決して見下したりしてはいけない、どのような人も平等なんだ、というような話をしました。
その時の言葉が忘れられません。
歌会始が行われました。
その詠み人は独特の節回しで詠みます。
その詠み人は元、貴族の人のみだそうです。
謂わば差別の風習が残っているのです。
上皇后の美智子様、皇后の雅子さまは平民からの婚姻でした。さぞ批判の矛先の的で苦しまれた事でしょう。
インドにはカースト制度があります。
法的には廃止されてはいますが、いまだに惨い差別の慣習が国全体にはびこっています。
最下層の位の人たちは人間ではない、というように差別されているのです。
人間とは何故、同じ人間でありながら差別をするのでしょうか。
人間とは自己中心から他よりも己を上位にしていたいとの奢りがあるのでしょう。
長年続いてきた慣習に従っていた方が優位な気持ちでいられるから、幾ら平等が正しいとしてもそこから抜け出せないのです。
お釈迦さまやガンジーのような人が現れてもカースト制を解体する事が出来なかったのです。
優しさを追求するよりも人の上に立っていたいと思う方が、居心地がいいだけの悪習慣を無くしたいものです。