前回に引き続いて、ミッキーマウスの誕生に欠かせなかった人物のうち残りの2人を紹介します

アブ・アイワークス
彼もまた、ミッキーの誕生には欠かせません

何といっても、彼がミッキーを描いたのですから。
「早描きの天才」と呼ばれたアブ・アイワークスはウォルトとは古くからの親友でした。
二人は駆け出しのころからずっと一緒に仕事をしてきたのです。
オズワルドにブラックなギャグ要素を取り入れたのも彼のアイデアでした。
ウォルトはアブにとても信頼を寄せていました。オズワルドが奪われ、配給会社にウォルトのスタジオのスタッフたちが引き抜かれていったなか、ウォルトのスタジオに留まったのはアブ・アイワークスと彼の直接指導を受けたレス・クラークの2人だけだったのです。
ニューヨークからハリウッドのスタジオに戻ったウォルトは、秘密裏にミッキーマウスの制作に取りかかりました。というのも、契約上あと3本オズワルド作品を作らねばならず、当面は配給会社に寝返ったスタッフたちもスタジオに残っていたのです。
そこで活躍したのが、このアブ・アイワークスでした

アブは部屋に鍵をかけ、猛スピードでミッキーを描いていきました。そして、誰かが部屋をノックすると、さっとミッキーを隠してオズワルドを描いているふりをしたというエピソードが残っています。
また、ミッキーの初期の作品はほとんど彼一人で描いたと言います。
まさしく、
彼がいなければミッキーはデビューしていなかったと言えますね。
こうして、ミッキーにとっても、ウォルトにとってもかけがえのない存在だったアブ・アイワークスでしたが、後にウォルトと彼との間に亀裂が入ることとなります

「蒸気船ウィリー」での録音に難航していたウォルトは最終的に、海賊版製造のパワーズ・シネフォンを所持していた、パット・パワーズと契約を結びました。
パワーズはその当時、自分の装置を誰かに使ってもらって広めたいと考えていたため、ウォルトを大歓迎しました。
パワーズはその後、ウォルトを援助し続けるのですが、彼にはある企みがあったのです。パワーズはディズニー社が要求した映画配給総売上の開示をのらりくらりとかわし続けたのです。これではどの映画がどれだけの売り上げを計上したのかウォルトにはわかりませんでした。そしてウォルトはパワーズの企みを知ったのです。
最初にウォルトが契約を結んだ時、パワーズは自分の音響装置を売り出すことだけを考えていたため、ミッキーマウスの映画が大ヒットするのも、それどころか多少評判になることさえ、期待していませんでしたし、どうでもいいと思っていました。
しかし、大変驚いたことにミッキーマウスの映画は大ヒットしました。パワーズは、たった1年の契約しか結ばなかった上に、追加の権利も何もつけておらず、ビジネスマンのメンツを完全に潰してしまったのです。
そんなことがあって、パワーズはウォルトの知らないところでありとあらゆる手をまわし、ウォルトの身動きがまったく取れなくなるようにして、契約を更改するしかないように仕向けたのでした。
その1つの方策として、パワーズはウォルトが一番信頼していたアニメーターのアブ・アイワークスと契約を結んでしまったのです

こうして、ウォルトは古くからの大親友、アブ・アイワークスの裏切りを知り、絶望しました。そうしてパワーズとの手を切ることにより、アブとは一緒に仕事をしたくないという気持ちを表したのでした。
その後、アブは自分のスタジオを持つこととなりますが長くは続きませんでした。そして、ウォルトたっての誘いで、ディズニー社に復帰しました。
ディズニー社に戻ったアブは「101匹わんちゃん」や「メリー・ポピンズ」などの作品に特殊効果担当というかたちで貢献することとなりました。
チャールズ・チャップリン
みなさんはウォルト以外ににもミッキーマウスのモデルが存在していたことをご存知でしょうか
チャップリンこそミッキーマウスのもう1人のモデルだったといわれています

初期のミッキーは今とは違って、やんちゃでいたずら好きという性格が濃いキャラクターでした。
ウォルトはミッキーについてこんなことを言っています。
「チャップリンの、あの、ちょっともの寂しそうな雰囲気をもった小ネズミにしようと思ってね。小さいながらも自分のベストを尽くしてがんばってるっていう姿だな。」と。
しかし実際には、ミッキーマウスのキャラクターには、チャップリンよりもウォルトの要素の方が多かったことは言うまでもありません………。
とは言え、ミッキーマウスの格好にはチャップリンに対するオマージュが見られます。
ミッキーマウスの大きくて立派な靴やお尻が丸くて大きいなど、シルエット的にチャップリンと似通ったところが見受けられるのです。
実は、ウォルトは小さいころからチャップリンに憧れていました。ウォルトは、ハリウッドに来た当初から、憧れのチャップリンとお近づきになりたいと、何度もチャップリンの撮影所の前をうろうろしますが、チャップリンとようやく会うことができたのは、ミッキーマウスが大ブレイクして、ハリウッドでウォルト・ディズニーの名が知られるようになった1930年代に入ってからでした。
ウォルトと初めて会った時、チャップリンはウォルトにとても重要なアドバイスをしています。
「きみは非常に有能だ。素晴らしい才能を持っている。その才能を人に持って行かれないために、どこの会社にも属さずに、インディペンデント(独立の自営者)でいるべきだ。絶対に自分の権利は自分で、しっかり管理しなさい」と。
やがてこのアドバイスはウォルトを救うこととなり、ウォルト自身も生涯その姿勢を貫くこととなりました。