今日は、父の弟(叔父さん)の命日



10年経った

叔父さんが、ばあちゃんのお腹にいるとき戦争になった

出産したばかりの夜中に、ばあちゃんに会いに来たじいちゃん
ばあちゃんは、出征するんだとピンと来たらしい。
出産直後の、研ぎ澄まされた女の直感

じいちゃんと交わした言葉はなく(出征は漏らせない)ただ
「体を大事にせれよ」
と、ばあちゃんをねぎらったらしい

ばあちゃんは、妊婦だけど田植えがあったから、長い時間無理したから、叔父さんは月足らずで生まれた

今なら早産


小さくて、しわくちゃで見たことはないけど、サルの子のようだった

と、ばあちゃんが言っていた

叔父さんの名前は、じいちゃんを養子にしたお義父さんがつけたらしい

じいちゃん、赤ちゃんの名前くらい考えて来て良かったのに。
と、幼いわたしは思ったものだ

わたしが生まれた時は、古いばあちゃんとばあちゃんと
わたしの両親とまだ未成年だった叔父さんと6人で暮らした

叔父さんはわたしのことを
「舞子さん」と呼んだ

誰もわたしの名前を呼び捨てにしなかった
ばあちゃんのきょうだいも「舞子さん」
母のきょうだいも「舞子さん」


わたしの家は、代々子どもが生まれず
じいちゃんはアメリカから養子に来た

わたしの父は50年ぶりに生まれた男児

わたしはもっと長らく生まれなかった女児として。それはそれは大事に育てられたらしい。虚弱だったけど


父は公務員として仕事に
ばあちゃんも百姓に
古いばあちゃんと叔父さんとお母さんと
わたしの4人で生活した


いつも叔父さんがわたしを抱っこしていたと聞いた

写真もたくさんある

お縁で叔父さんに抱っこされて
サングラスをかけられた、わたしとのツーショット・・ちょっとカッコいい
叔父さんもサングラスしている

叔父さんのギターに座らされた写真

叔父さんが肩車した写真などなど

早産で生まれた叔父さんは体が弱くて
仕事もあまり行けなかった

叔父さんは、わたしが2歳頃結婚した


10年前、ベランダに布団を干していたら救急車が来た

叔父さんの奥さんが、ベランダのわたしを見つけて
「兄さんたち(わたしの父)に言って 病院に来てって言って」

と、叫んだ

晩年は病気に苦しんだ叔父さん
亡くなったのは、すごく悲しいけど
もう痛くもつらくもないよね?
と、思うとみんなで慰めあった



毎日、誰かの誕生日
毎日、誰かの命日