
オキザリスのピンク
「今日は法事ね?」
近所の人が言う
広い庭に乱雑に停めた車が多数
「法事するような人いないよ」
「冗談よみんな大きな車ね」
子ども達がやって来たからだ
「親は軽自動車やのに」
「昔は、乗用車に乗ったじゃないのよ」
「昔はね」
「今はもう軽でよかよか 最近は痛くないね?布団干しに掛け声ないから」
には、笑ったうけた
「さっき、公園入口の上に椿を見つけた いろんな種類の椿が何本もあった 花屋のおじさんが植えた?」
「そうそう よくわかったね」
「花屋がしそうなことだから」
花屋のおじさんは、私の祖父を知る数少ない人だった
祖父の父親は「開拓移民」としてアメリカへ渡った
残った本家(兄弟)に子どもがなくて、誰が日本に戻るか?を決めさせたら、祖父が「俺が行く」と言ったらしい、当時の祖父は9歳
日本語が話せず1年生から初めて2年生が長かったらしい。この時花屋のおじさんと同級生になったと聞いた
日本の生活に慣れずに、アメリカに帰ろうと、神戸まで行っていたことがあると聞くと胸が痛む
日本でやる、手の甲を上にしたおいでおいでは、アメリカなら「あっち行け」だそうだ
アメリカ式においでおいでするなら、手のひらを上にして指を曲げるやり方らしい
そんな些細な文化の違いに9歳の子どもは傷ついていた
花屋のおじさんは、よく祖父の話をしてくれた
相撲が強かった 負けん気も強かった 真面目だった ウソは嫌いだった 曲がったことも嫌いだった 勉強は頑張った、負けるのがイヤだったから
18歳で祖母と結婚して19歳で親父になった(父が生まれた)
21歳で伯父がお腹にいるとき、戦争が始まった
祖父は日本軍、兄たちは米軍として参戦 戦死したのは、祖父だけだった


