再掲 【第一話】
 私が本当に信じた唯一の臨死体験実話。











この方は若くして松〇電器の社長室長をやられていたお方で
同時にオ-ル松〇合唱団の指揮者でもあり、
まさにエリ-トコースを歩まれていた男性の人です。


1981年4月27日の日曜日  ・・・・以下抜粋


その日 昼寝から覚めると珍しくオ-トバイに乗りたくなった。
そしてどこに行くでもなく国道一号線を京都に向かって走っていった。
そして 気づいた時は遅かった。
自動車がこちらに向かって走ってくる。

何なんだ これは !!!
分離帯のある国道でクルマがこちらに走ってくることはあり得ない。
あり得ないから夢に違いない。 ともかくブレ-キをかけなければ。
だが 到底間に合う距離ではない。
急ブレ-キの音。
スロ-モ-ションのようにクルマが近づく。
ゆっくりと接近・・・そして、ガッシャ-ン。

゛ん ? 痛くない・・・゛゛゛。

周りを見ると オ-トバイが横転し、
バウンドしながら横すべりしていく。
自分の身体も吹っ飛び 道路に叩き付けられる。
ヘルメットが壊れて 道路を転がっていく。
それを見ている私。 
私は自分の交通事故を目撃しているのだ。

ヘルメットは歩道を歩いている女の人の足元まで転がっていった。
その人が振り向いた。
゛あれは合唱団のSさんだ。
おおい 僕だよ 僕だよ。゛

Sさんはしばらく足を止めて事故現場を見ていたが、
やがて行ってしまった。
Sさんが ゛大したことないみたい 私には関係ない・・と
考えているのがわかる。
゛おいおい ひどいよ あれは僕だよ 関係はおおありだよ。 ゛

オ-トバイはガ-ドレ-ルに引っかかるようにして止まる。
自分の身体も二度三度バウンドし、くの字にねじれて
国道の片隅に横たわっている。
それを上から眺める自分。

゛少しも痛くない。痛くないということは やはり夢なんだ゛。
自分を眺めることが出来るということも夢以外にない。
ああ驚いた。 よかった 夢でよかった。

人が集まってくる。
口々に色んなことを話している。
「 歩道にあげないと危ない 」
「 もう死んでる 」
「 死体は動かしたらあかん 」
「 まだ生きている 」
「 現場は動かしたらあかん 」
「 オ-トバイからガソリンがこぼれてる 危ない 」


場所は国道一号線、自分が勤務する松下本社の手前の交差点、
ちょうど救急病院がある。
すぐに担架が運び出されてきた。
私は担架で病院の中に運ばれていく。
その横を酸素マスクを持った看護婦さんが走る。
それを天井の高さで テレビカメラのように追う私。


私は検査室の診察台の上でレントゲンをたくさん写されている。
「ひどいなあ、これは。骨盤が砕けてる、足がはずれてる。
おっと、首の骨もだめだよ。ほら、この手ぐしゃぐしゃ。
ひどいもんだね、膝も肩も、全身骨折だよ」
医者が看護婦と話しながら検査している。


天井からその様子を眺めている。
゛あんなにレントゲンを浴びて大丈夫なんだろうか゛
右足は付け根から不自然に曲がり、首も不自然に曲がっている。
首の骨が折れているか損傷しているのだろう。
骨盤が割れて右足は付け根からはずれているのだろう。
膝がねじれているから関節で折れているのだろう。

しかし一番ショックだったのは左手。
ピアニストにとって 手は命と同じくらい大切。
子供のときから指を大切にしてきた。
遊ぶときも体操のときも、バレ―ボ―ルや柔道など突き指や
指のケガの可能性のあるものは、ほとんど避けてきた。
それほど大切にしてきたこの手が、突き指どころか、手が手首の
ところで折れ曲がり、手の甲が手首にくっついてしまっているのだ。


「 これは無理ですね うちでは。 手の打ちようがない 」
゛おいおい それはないだろう 何とかしてよ゛
結局、大学病院に転送された。
初めて乗る救急車、サイレンが時々鳴る。
゛そこどけそこどけ 僕が通る゛

一夜あけて 手術が始まる。
『 天井からそれを見ている私。』
まるでマグロをさばくように自分が切り裂かれていく。
腰の右側が大きく切り開かれる。 どす黒い血が流れ出す。
゛ひどいものだ とても見られたものではない。゛
骨盤が割れ 右足が骨盤からはずれている。
骨盤に穴を開けるいやな音。
太いボルトが差し込まれ 骨がつなぎ止められる。

゛ちょっとちょっと、そんなことしていいの??
土木工事じゃないんだから゛
とても見られたものではない。あまりの残酷さに目をおおう。


-場面が転換- ICU-集中治療室。
異様な姿。 頭も顔もミイラのように包帯でぐるぐる巻き。
足にはロ-プで重りがぶら下げられている。
腕はこれまでに見たことがないくらい大きなギブスで包まれている。
全身固定-酸素マスク-口鼻にパイプ。 腕には点滴。
あちこちからパイプが出ている。 血液と排尿のためか。
ベッドの横にはオシロスコ-プ 脳波か心電図を取っているらしい。
下半身から排泄用のパイプ。 電極とオシロスコ-プ。
思わず目を背けてしまう 姿。
まだ生きているのだろうか。 しかし動かない。


-場面が転換-

妻が医者から説明を受けている。
「やるだけのことはやりましたが・・・」

― 妻が呼びかける-

『お父さん大丈夫!? お父さん お父さん・・・
・・・お ― 父 ― さ ― ん!!! 』

呼びかけは次第に大きな声になる。 最後は絶叫。
絶叫はたまらない - 特に家族の絶叫は堪えられない。
゛大丈夫 僕はここにいる 心配いらない これは夢なんだ゛
妻には聞こえていないようだ・・・伝わらない。

『 お父さん - お父さん - どうして !?
・・・ ど  う  し  て ー 』

゛聞こえているよ。
何か変なんだ 大丈夫だ 心配いらないってば゛

しかし通じない 伝わらない。
もういい もう見たくない。


-場面は転換-

待合室で脅えているわが子に一生懸命呼びかける。
゛大丈夫 心配いらないよ 何か変なんだ。
あれはお芝居なんだ。何かの間違いだからね。
これはきっと夢なんだ。お父さんは大丈夫だよ、すぐ帰れるから。
今日は、晩御飯は一緒に食べる日だからね、待ってるんだよ。゛

ああ・・・やはり通じない 手応えが無い。
映画「ゴ-スト」のような感じ。
もういい~もう見たくない。


-また場面は転換-

ICU で寝ている自分。 動かない。
その横で妻がイスに座って見守っている。
遺体が安置され、妻が不寝番をしているようにも見える。

゛僕はまだ生きているんだろうか、もう死んでいるんだろうか??゛
しかし、こうして自分が自分を見ているということは・・・
もしも夢でないとしたら~僕は死んでいるということになる。

゛まさか、そんな馬鹿な!!゛


-私は今 河原に来ている-

身体はないが意識だけがある。 ちょうど夢の中のような感じ。
私は河原の上、地上2~3メ-トルの高さにいるようだ。
ここはどこだろう。 賽の河原???

賽の河原ではない。 すぐに分かった。
ここは愛媛県松山市の郊外、横河原。
重信川という大きな川の河原。
よこがわら~この名前は、いつも私に何とも言えない気持ち、
涙ぐむような感情を呼び覚ます。
ここは、子供の頃、3歳から6歳を過ごした思い出の場所。
子供の頃を思い出す時、田舎とかふるさと、という言葉を聞く時
いつも思い浮かべるのは、この場所。
私は大阪生まれだが、横河原は間違いなく、
私のただ一つの「ふるさと」なのだ。

父は肺結核の専門医で国立愛媛療養所の医師だった。
結核は、今ではほとんど忘れられた病名だが、当時の昭和20年代は
猛威をふるっていた法定伝染病で、各地に国立療養所があった。
私達は国立愛媛療養所の官舎に住んでいた。
結核病院は人里離れた場所にあり、周りは山の中だった。

隔離された場所だから、遊ぶ仲間は少なく、官舎のわずかな子供と
患者さんや看護婦さんが遊んでくれる程度だったが・・
むしろ一人のことが多かった。
中でもその広い河原が好きだった。
みんなで散歩したり、お弁当を食べたり、一人で遊んだりした。
この川と河原は、丸い石を拾って川の表面に投げて水切りをしたり、
珍しい形の石を捜したり、水遊びをしたり、雪すべりをしたり、
いろんな楽しみを与えてくれた。

その河原は非常に広かった。
向こう岸は霞むくらい遠く、その先には森があり、
そのはるか向こうには皿が嶺が聳えていた。
その青い頂きには、雪が見えることもあった。
私はよくその河原の土手に座って、その雄大な風景を眺めたり、
夕焼けを見て 感動したものだった。

゛いつかあの向こう岸に行ってみたい。 
いつかあの山に行ってみたい。
いつかあの山の向こうまで行ってみたい ゛
いつもそんなことを考えていた。

今、ここに30年ぶりにやって来たのだ。
しかし、景色は大きく違っていた。
河原も重信川も見る影もない。 
広大な河原は、信じられないくらい狭くなっていた。
雪すべりをした土手は、護岸工事でコンクリ-トに変わっていた。
広い河原も河川敷の工事でコンクリ-トで何段にも塗り固められていた。
わずかに残された河原の幅は数十メ-トル。 
そして、そこには一滴の水もない。
コンクリ-トで埋められなかったわずかの川底に、
やっと昔のままの石ころが残されていた。

゛川はどこに行ってしまったのだろう゛
゛河原はどこに行ってしまったのだろう゛
゛土手はどこに行ってしまったのだろう゛
゛土手の赤松はどこに行ってしまったのだろう゛
・・・・・呆然と見回す。

゛私の家はどうなっているんだろう゛
それとおぼしき場所を訪れる。
ほとんどが草原だが、かろうじてあの頃の家々の配置が分かる。
アズマさん、ミヤワキさん、テンちゃん、アラミさん・・・ 
そして、自分の家のあった場所にやってきた。
゛ ああ ここだ  あの匂いがする ゛
まさにあの頃の 土の匂い を覚えていたのだ。
はっきり分かる。 ここが私の家の庭なのだ。

あの頃、広々とした庭だった場所は今はただの草原。
家も塀も両隣の家も周りの家も何もない。
しかし、はっきり分かるのだ。
あの時と同じ あの匂い がするのだ。
アカシアの ヒマワリの ダリアの ガ-ベラの カンナの 
・・・花たちの匂い。
それらの匂いは土の中に 記憶されているのだ。

゛ああ、ここでキリギリスを捜した。
ここでアリを見つめて一日しゃがんでいた。
ここにカブトムシの来る大きな樹があった。゛
幸せだった時代の幸せの象徴が、まるで、『雨月物語』の
ように、今は草原になっているのだ。
母の声が聞こえるようだ。
゛はやくおうちに入らないと 日射病にかかるわよ゛
優しい母の姿がよみがえってくるようだ。

おたまじゃくしを掬ったあの池は・・・
埋め立てられて運動場になっている。
登れなかったあの大きなクルミの木は・・今は無い。
渡れなかったあの丸木橋は・・・
丸木橋どころではなく、川ごと無くなってしまった。
林の中のあの木造の霊安室は・・無くなっている。 
病院の玄関は・・・
木造だった入り口は立派なコンクリ-トになっている。
でも玄関前の生け垣はあのときのままだ。

駅舎は・・・
横河原駅の駅舎は、ああ、あの時と同じ木造だ。
小学校は・・・ 
木造校舎は、見違えるように鉄筋に、そして、立派な体育館が。
運動場はずいぶん小さくなってしまった。
でも校門のシュロはあの頃のまま。
思い出の場所を思いつく限り回った。

゛ もう他に なかっただろうか ? ゛
看護婦さんの寄宿舎は・・・マンションに変わっている。
野獣官舎は{インタ-ンの若い医者の独身寮は騒がしいのでこう呼ばれた}
建物はないが あの時のクルミの木だけが今も聳えている。

・・・・・・思い出の場所をすべて回り終えた。
まるで巡礼が札所を回るように。
思い出の場所に別れを告げるように。


゛そろそろ 行かなきゃ゛
子供の頃 夕方の汽車の汽笛が聞こえると、
゛もう帰らなきゃ゛ と家に帰ったものだ。
夕方のあの物悲しい感覚。


゛もう 行かなきゃ゛

・・・・ すると徐々に自分が上昇し始めた。


【第二話】へと続く。