二・二六事件の真相~昭和11年のクーデター






昭和11年のクーデター (その1) 



昭和11年のクーデター (その2)



昭和11年のクーデター (その3)



昭和11年のクーデター (その4)




管理人 

映画と実際の歴史の真相には大きな乖離があるようです。
覚醒する為には、全ての真実を知る必要があります。
今、大きな問題になっている尖閣を起点とした日中戦争の危機も
これを見なければ、本当の理解は得られないと思います。
最も真実に近いものとして、以下の記事を取り上げました。


鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密-2・26事件
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html

一部引用

ー前略-

秩父宮が安藤輝三(てるぞう)という大尉に話を持ちかけます。
これはまちがいない事実です。
そして安藤は非常に冷静な男だったので断ります。
しかし秩父宮は懐から懐中時計を出して「俺の真意を汲んでくれ」
と言います。それで彼がリーダー格となり、若い将校たちを仲間に
入れます。そして革命を起したときに、秩父宮は弘前に逃げます。

そして安藤に言います「弘前で軍人たちを募ってやって来るから」と。
それで安藤と仲間たちの将校は、秩父宮の言葉を信じて革命を起します。
しかしその革命はみなさんがご存知のように失敗します。
なぜ失敗したか?彼は途中で天皇の味方につくわけです。
私はそう思ってます。それで失敗します。その結果どうなったのか?


結局2・26事件を起した連中は-それとその指導者たちは
皇統派と呼ばれています。で、もう一つ統制派というのがあります。
統制派というのあは陸軍16期生というのがありまして、陸士ですね、
その中で1921年だと思いますが、10月にドイツのバーデンバーデン
というところにある4人の男たちが集まります。そういう連中がドイツに
集まった所に、東久邇が裏で緒を引いて、結局そこから統制派という
のが生まれてくるんです。

リーダーは暗殺された永田鉄山という男ですが、永田鉄山は途中で
暗殺される。これが一番優秀な男だったわけでありますが、
その連中が東久邇と秩父宮にそそのかされて、
結局、日本をおかしな方向に持っていくわけです。
で、日本はアメリカとソ連を敵対国とするんですが、
統制派というのはアメリカを打倒しなければダメだという。
まあこれは大体のストーリイですけど。
で、皇統派というのはアメリカと戦っちゃいけないと、
あくまで日本は敵を想定するならソヴィエトだということなんです。


ー中略-


昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、
これは木戸幸一の日記に出てきます。
木戸幸一にこういうことを言っています
もう世界大戦は始まる。
そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、
他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。
だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、
10年後には復活する
」と。


これは見事に予言的中しているわけですよ。
その一年後に第二次世界大戦が始まります。
真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。
10年後というのはちょうど講和条約の時です。
だから考えようによっては、昭和天皇だけが日本のストーリイを
全部知っていたんじゃないか、ということになりませんか? 
僕はそう思います。
で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。
天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。
これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。
近衛はどういうことを言ったかと。

「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、
戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。
陸軍は石油を一年分しか持ってない。
この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。
木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。
これは木戸日記にはっきり書いてあります。

ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。
石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、
石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、
ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、
やっぱりあれは石油があったんですよ。
なぜ石油があったか考えてみたことありますか。
これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。

ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、
これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、
日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。
三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。
『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので
『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。
魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍から
もらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。


ー中略-


『2・26事件を私は、天皇と秩父宮が密かに練った偽装クーデター
との説をとる。秩父宮は密かに仙台から遠回りの鉄道を使い東京に
出て来て、高松宮と会談し、その後で二人で天皇と会っている。
この事件をいかに収拾するかについて話している。
8月15日のあの事件と2・26事件は共通する。
前者は三笠宮が策を練り、後者は秩父宮が策を練ったのである。
天皇教はたえず暴力装置を作っては、それを策動して生きながらえてきた。
どん底の人々は、大きく二つに分かれた。
天皇教の側に立って共にその暴力装置に加担する一派と、
その逆の立場の人々である。


統制派は天皇側について南進論を推し進めた人々である。
皇統派はその暴力装置に対抗すべく日蓮宗に救いを求めた。
軍人のほとんどが、軍人たちの一部(天皇教の暴力装置に
組み込まれた軍人たち)を除き、アメリカと戦争する拙劣
きわまりない行為を知っていた。
それでも天皇とその一族は戦争を仕掛けるのである。
その謎を徹底的に追究しようとして私は書いてきた。』


『ねずまさしは「天皇昭和紀(上)大日本帝国の崩壊」の中で
「2月26日午前4時、第一師団の歩兵および第三連隊の営門から、
部隊は堂々と市内へ出発した・・・・
かくて彼らは、目ざす重臣五人を殺した、と信じて陸軍省などに
引き揚げた・・・牧野は早くも旅館からのがれていたため、
護衛の警察官が射殺され、旅館は焼かれた。
西園寺ももちろん、ねらわれたが・・・
襲撃直前になって突然中止した。」と書かれていることに注目したい。

牧野は数多くのテロの標的となってきた。
しかしそのつど、直前にいつも逃亡に成功した。
これは何を意味するのか。
彼が背後でこれらのテロを操っていた黒幕であることを意味する。
岡田啓介首相も難を逃れた。事前に彼の娘婿の迫水久常
(終戦時の鈴木内閣書記官長)が岡田首相を連れ出すのである。
迫水久恒は、皇統派と見られていた。実際は岡田のスパイだった。』


『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。
このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、
岡田首相らが事前に知っていたのである。
天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。
天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、
密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。
しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、
2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、
誰も疑わない。ねずまさしも、である。』


『このクーデターと酷似するのが、あの8・15の
「日本のいちばん醜い日」である。将校と兵隊のかわりに、
将校と近衛兵を使った。リアリテイを見せるために、一人とはいえ、
森近衛師団長を惨殺した。石原莞爾がいみじくも指摘した放送局を
占拠するというマネまでもしたのである。この二つの偽装クーデターは、
秩父宮と三笠宮の暗躍がなければ決して実行されなかったのである。
真の首謀者の二人は未だに闇の中に消えているのである。』


『この事件の結果、どのように変化したのかを書いておきたい。
北進策をとる皇統派の将軍・将校たちが主流からはずれ、東条一派-
あのバーデンバーデンで密約した一派、東久邇宮と結ばれた一派-の
統制派が軍の要職を占めるのである。
統制派は南進策を主張する人々である。
秩父宮は、
自らが天皇になろうとしてクーデターを起させた可能性大である。
笠原和夫もその説をとる。しかし、私は天皇と秩父宮が密かに結びつき、
2・26事件を若手将校に起させ、南進論一本にすべく行動した
のではないかと思っている。』


『この1936年が日本のターニング・ポイントになるのである。
1936年、ゾルゲと西園寺公一と原田熊雄、尾崎秀実の暗躍。
もう一つは日本共産党の野坂参三の動き。これらと2・26事件が
糸のようにもつれあって連動したことは間違いないのである。
2・26事件以降、天皇により軍紀がひきしめられる。
天皇はその役を東条英機に命じ、陸軍大臣から首相に任命する。
東条英機は佐藤賢了中将を軍務局の要職につけ南進策を推進させる。
太平洋戦争への道である。』


『天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、
ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入する
べく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。
この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。
そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、
委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが
創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。

近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、
戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が
世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。
それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」
とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、
日本は再び独立国となる、ということであろう。
そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、
と天皇は語っているように思える。』


『その裏に見え隠れするのは、
木戸よ、このようにして日本を導かなければ、
天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。お前も協力してくれ

との天皇の哀訴である。

大室寅之祐の代から天皇ニス変えた木戸孝允の孫の木戸幸一は、
「天皇と一蓮托生の命である」と答えたのではないのか。
天皇はあるルートから、一枚の極秘文書を渡されたと私は考える。
その文書に木戸に語っていた内容が書かれていた。

「有終の美を挙ぐるは困難ならず」とは、
「敗北しても、天皇の命は保証され、国体は護持する」
との確証を得たとのことではないのか。
日本の国民の民草に天皇が思いを馳せる素振りをするのは、
「終戦の詔書」の中だけである。
それも見せかけ以外のなにものでもない。』


『天皇が脅されてなんかいなかったと思っている人が多いであろう。
私はルーズヴェルト大統領も、チャーチル首相も、スターリンも、
闇の支配者たる国際金融資本家たちのグループに脅され続けていた、
と書く。天皇においておや、である。
まことに日本は国際決済銀行(BIS)により、利益追求システム
の中に組み込まれ、ついに必然的に戦争状態の中に入っていく。
戦争は巨大なマネー・ゲームである。
ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。
ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。

天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。
この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史と
なっている。』


『天皇と祖の一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んで
マネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に
日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。
ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融の
グループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。
ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという
黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。
戦争がいちんばん金のもうかるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知り尽く
した人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。』


『第二次世界大戦はどのように仕掛けられたか。
その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。日本は統治諸島を手に入れた。
ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに
秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。
共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、
中国を共産主義にすべく動いた。日本の天皇の野坂参三を使い、
共産党国家中国の援助をした。

これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。
これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。
彼ら、この国際決済銀行を実質ッ的に支配する国際金融同盟は、
次々と日本に甘い汁を与え続けた。
青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。
これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。
すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、
日本を戦争に導くための甘い汁だった。
満州国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。』


『1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2千万円。
日銀物価価格で計算すると311倍となり、7912億円。
東条の10億とか15億がいかに天文学的数字であるかが分る。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。
これが戦争なのである。
国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、
天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。
三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、
朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。
その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。
その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。
戦争を長引かせるよう、
国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が天皇を指導したのだ。
天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長引かせることで
天文学的は利益を上げた。麻薬を売りつけ、その上がりで軍人たちは
メシを食っていたのに、何が大東亜構想なのだ。』


『木戸は警察関係の連中と三日に一回ほどの頻度で会っている。
これらはすべて天皇に上奏され、また天皇から伝送される。
平和運動を抑圧し、終戦工作を妨害しつづけたのは、
天皇ヒロヒトその人であったことを理解しないと、
戦争の本当の意味が分らない。
日本人だけが、昭和天皇を「無私の人』だち思っている。
真実はまったく違う人間であったことは、ほぼ間違いのない事実である。
戦争がマネー・ゲームであることが理解できたであろうか。

田布施のこのグループにやがて、吉田茂が一族として加わってくる。
上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マセソンというロスチャイルド
財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子ども
を養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、
牧野伸顕の娘と結婚する。
満州利権を守るため、田布施村の一族と血の契りを結ぶ。
のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、
アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。
こうして、、マネー・ゲームは続くのである。』


再び鬼塚氏のDVDの続き。


そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、
天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。
これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。
天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに
『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」
「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。
東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。
最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。
終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に
入りますけど、上手く行きません。


終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、
これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。
ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。
それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。
「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と
樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。
彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、
まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると
次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に
日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。


で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、
戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。
これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、
これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記に
ダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。
アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」
ずーっと出てきます。そういう事なんです。

で、結局ですね、
最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、
すべて矛盾がなく納得できるんです。
だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流して
ソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。
で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。
「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。
「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と
天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。


あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、
昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。
だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、
それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけ
なんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、
山本五十六は言ってんじゃないですか。
「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。
そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。
やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、
全部失う。スイスに貯めた金も失うと。


もう一つ、石油を買うお金は何処から来たかということですが、
日本は南方に攻め込みます。
中国はもちろん、ビルマからタイからダーッツと行きます。
あすこにある金銀財宝をカッさらいます。そして日本に持ち帰ります。
それを金を溶かして丸福といいます。丸に福が書いた名前の金貨をつくり、
それを持ってフィリピンとかに行って、農家の人に渡して食料を得る。
アメリカ軍は自分の国から大きな船で食料を運ぶんですけど、
日本はそんな余裕はないわけで、現地調達をやります。
フィリピンで現地調達をするのに軍票というのが、
こんなの受け入れません、フィリピンの百姓たちは。
それで金貨をやります。「そんならしょうがない」って言って、
米をもらったり野菜をもらったりして、何万人の兵隊たちが
フィリピンの農民から肉や魚を買います。これが戦争なんです。


で、もう一つ、その金貨を黄金をインゴットにしてスイスに送ります。
スイスでスイスフランかドルに換えます。そのスイスフランかドルを
・・・国際決済銀行というのが出来るわけです。
第一次世界大戦の後に出来ます。その決済銀行を通して、
日本はアメリカにパナマ国籍で金を払い石油を貰うと。
で、アメリカとその石油で戦争をします。
太平洋でいっぱい戦争をしました。あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ごっこをやったということですよ。
ドイツも同じです。戦争するのにドイツは分るように石油は出ません。
石炭は出ます。で、ドイツのヒトラーが言います。
「戦争をしろというけど石油が無い」って。
ロイヤル・ダッチッシェルというところのデイターデイングという
ユダヤ人がヒトラーに言います。「石油は渡す。やれ」って。
「誰が持ってくる?」「オナシスというやつのタンカーが来る」
「戦争してたら沈没したらどうするんだ?」
「オナシスの船は絶対沈没しないから心配するな」。
で、戦争中ずっともらいます。


じゃあヒトラーはどうしてスターリンの所に攻め込んだんだ?というと、
途中で言われます。「もうやらない」って。
じゃあヒトラーはどうしたらいい?
スターリンのところへ行って石油を取ばいい。
それでヒトラーはロシアを攻め込んで、石油基地を奪おうとして行く
過程で滅ぼされます。日本も同じです。イタリヤはどうか?
ムソリーニはヒトラーに言われます「一緒に戦おうよ」。
ムソリーニは言います「オレは石油がない」。
ヒトラー
「俺はシェルからもらえるけどお前はシェルからもらえないのか?」
ムソリーニ
「シェルはオレにくれるといわない」。
それでもヒトラーとムソリーニは協定を結んでたから、
ヒトラーが戦争を始めた以上、ムソリーニもやらざるを得ません。
すぐムソリーニのイタリヤは潰されます。
これは石油がないからすぐ潰されます。


戦争というものの実態は「物事はすべて必然性がある」んです。
大きな出来事は偶然性で発生するものは何もありません。
第一次世界大戦も今いった第二次世界大戦も、ぜんぶ八百長なんです。
八百長システムが見事に働けば戦争は長引くんです。
戦争は長引くんです。だからノルマンデイー上陸作戦というのがあります。
あれは第二次世界大戦が始まって、
すぐルーズヴェルトが「勝利の計画」というのを立てます。
ウエデマイヤーという優秀な男がいまして、これが計画を立てます。
ウエデマイヤーは戦争が始まって一年後に、ルーズヴェルトやステイムソン
やらマーシャルやらみんなを説得します。「戦争はこれで終わりです。
ヒトラーを、ナチスらを、やっつけましょう」。ね、一年後ですよ。


それがなぜ延びたか?上層部の連中が「No」と言います。
誰が「No」と言ったか。
スターリンもチャーチルに「これで戦争は終わりやなあ」と。
モロトフもチャーチルに会って確約をもらい、ルーズヴェルトに会って
「戦争は終わり。終わらせないとみんな可哀そうやな」。
でも最後にチャーチルがみんなに言います「戦争は継続しないといけない」。
でルーズヴェルトは魂消ます「なぜだ?」って。


チャーチル「戦争は継続しないといけない。
継続しないと金儲けに繋がらない。
それでアフリカ作戦に切り換えよう」って。アメリカ人は分りません。
そこでアイザンハワーという男が登場します。
これがウダツの上がらん男です。フィリピンでマッカーサーの下で
ずーっと中佐であった男です。この男が呼び出されるわけです。
で、ヨーロッパに派遣されて、一気に中佐、大佐、少将、中将、大将、
元帥と一年足らずの間に元帥になって総指揮官になります。
完全なユダヤ人です。ルーズヴェルトがヨーロッパに行った時に、
アイゼンハワーに会います。アイゼンハワーの顔を初めて見たといいます。
大元帥の顔をね。で、アイゼンハワーはイギリスの連中に応じます。
イギリスの貴族たちが(戦争終了に)反対するわけです。


僕はこれを『20世紀のファウスト』に書いたんですけど、
何と悲しいことよと。人間の命なんかどうでも良い連中が、
ゴロゴロいるわけですよ。ルーズヴェルトでさえ嘆いているんですよ
「戦争が終わるのになぜ終わらせないのか?」。
そうこうしているうちに、まあ後で話しますけど原子爆弾ですね、
原子爆弾が完成しなかったんですよ。予定通り。
これが完成間際になってヒトラーも手を挙げます。で終わります。
で日本は「まあ~だだよ」とステイムソンが言うわけです。
「まだガマンしとけ」。
そして原爆が完成して、同時にスケジュールが出来た。
と同時に何が起きたかというと、天皇は広島に第二総軍を作って、
畑という男を入れます。ね。怖い話じゃないですか。


それで戦争を始めるように仕組まれてるわけですよ。
僕がいちばん日本人の作家たちが書いた本を読んで情けないと思ったのは、
御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、
これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、
グルーが電報で打って全部次の日には・・・
グルーも『回想十年』で書いてます。
「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。
まあ後に翻訳されますけどね。
まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、
昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。
で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。
「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。

すると天皇はみんながシーンとしている時に
「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど
波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。
で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、
昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。
この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。


井上清やら『人間の条件』を書いた五味川純平もその歌を以って、
天皇はやっぱり反戦主義者であったことは認めるということになる
わけです。五味川純平の書いた『御前会議』という本があります。
『人間の条件』を書いた男が『御前会議』というのを書いてね、
その時僕は思いました(彼らは何とダマされやすい歴史学者なんだ・・・)
と。これはちょっと歴史の勉強すれば分るんですけど、
この歌は戦意高揚のためにずうっと歌われてきたんです。
日露戦争の時に天皇が詠んだとされて、ずうっと戦争高揚の歌で
やってたのが、突然、戦後になって一部の天皇の周辺の者が
「あれは天皇が反戦の意を伝えた」と言ったら、
みんな(以下)同文なんです。何て情けないんだ。
なぜ歴史を勉強しないのか。


以上、引用終わり -完-