生き残れる人の条件



$wantonのブログ


2011年4月2日の記事
仙台からの手紙
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/04/html/d16689.html ~より以下転載


【大紀元日本4月2日】戦後最大といわれる被害を出した東北関東大震災 
の発生から3週間が経過した。度重なる余震や原発への不安が続く中、
雑誌Ode電子版に寄せられたブログを読み、励まされた。発信者は長年
仙台に居住する米国人女性で、震災後の町の様子を温かなまなざしで
見守る。先月14日に投稿された彼女のブログを紹介する。


              ※ ※ ※

A Letter from Sendai
文・Anne Thomas

 仙台で経験したことはとても現実とは思えない災害だった。しかし、
私には私を助けてくれる素晴らしい友人がいるから、とても恵まれて
いる。私の本来の住処は掘立小屋とも言えないような有様なので、
友人のところにいる。水、食べ物、石油ヒーターなどを分かち合っている。
一部屋に雑魚寝し、ろうそくの下で食事をとり、体験したことを語り合って
いる。暖かく、友情にあふれ、美しい。

 昼間は助け合って住処のガラクタをかたづけている。車の中でニュース
をカーナビの画面で見ている人、飲み水の配布が始まると順番を待って
並ぶ人。もし誰かの家で水道が使えれば、必要な人がバケツやポットに
入れられるように、家の前にそれを伝える看板を出す人。
 略奪などが全く見られず、順番待ちの列が乱れることもないことは、
まさに驚異的だ。地震が襲った時は安全だからという理由で、みんな家の
入口を開けっ放しにしている。みんなが口をそろえて言うのは、
「昔は、こういう風にお互い助け合っていたんだね」


余震は絶え間なく続いている。昨夜は15分おきだった。
サイレンは鳴り続け、ヘリコプターは絶え間なく飛んでいる。
 昨夜は水道が数時間だけ、今日は半日。電気は今日の午後から。
ガスはまだ駄目。これも地域ごとに状況が違う。供給されているところも
あるが、全くないところもある。みんな、何日もお風呂に入っていない。
とても不潔に感じるけれど、今はそんなことよりもっと大切なことがある。

私は、必要不可欠でないものがはぎ取られていくのが楽しいのだ。
本能だけを頼りに、かばい合い、生存を支える最低のものだけで、
己を捨て、みんなで生きる。

 不思議な並列宇宙空間がある。めちゃくちゃになった家もあれば、
布団や洗濯物を日に干している家。水や食べ物の為に並んでいる人や、
その横を犬を連れて散歩している人。これらが同時に起きているのだ。
 他にも美しいと感じさせられたもの、それは夜の静けさ。車はいない。
通りは誰も歩いていない。満天の星、いつもは2つか3つの星しか見えない
のに。仙台郊外の山々はピリッとした空気の中で、
しっかりと夜空にシルエットを作っている。


日本の人たちは素晴らしい。今は電気が復旧したのでメールを打つため
に毎日自分の住処へ戻って来るが、入口には誰かが置いてくれた水と
食べ物がある。誰からなのかは分からない、でも確かにある。緑の帽子
をかぶった年配の人が家家を巡回し、みんな大丈夫かどうかチェックして
いる。人々は見ず知らずの人に声をかけ、何か助けが必要ですかと
尋ねる。誰も恐れていない。

あきらめは見える、しかし恐怖やパニックは無い。
 人々は余震が来る、もっと大きなものも含めて一カ月以上続くと話して
いる。確かに絶えず揺れるし、振動がある。私は他の場所より少し高くて
地盤の固い仙台にいるから、恵まれている。他の地域よりずっといい方だ。
昨夜は友人の夫が国から食べ物と水を持ってやってきた。
恵みをまた感じた。

 この時にあたって、私は全世界で巨大な宇宙の変化の過程が起こって
いるということを、自らの体験で悟った。今、日本で起こっていることを
通して私の心は大きく開かれたと感じている。私の兄弟は、今起こっている
ことの中に身を置いていると自分がものすごく小さく感じられるのではない
かと尋ねてきた。決してそんなことはない。むしろ、私は今起きている、
何かとても大きなことの一部に身を置いていると感じるのだ。

この産みの苦しみは大きい、でも素晴らしい。

 貴方からの心遣いと愛に感謝します。


 アン
                  
                            (翻訳編集・郭丹丹)

以上、引用終わり

---------------------------------------------------




管理人

大本教の王仁三郎は、日本は世界の雛形であると云った。
そして国難ともいえる大災厄が起こり、生き残れる人間は
3分、つまり3%であるそうだ。

私は無宗教の人間で、そのような講話は話半分に聞くことにしている。
しかし、そのような流れに向かうかもしれないとも思っている。
日本と世界に何百とある原発が存在する限り、その恐れは、これからも
ずっとついてまわるだろう。
しかも、今後更に数百もの原発が建造予定ときている。

たった一基の原発事故で、世界的規模の危機が訪れるというのに、
それを1000にも届かんばかりに造り続けるのだから、
何をか言わんやである。

日本が世界の雛形であるならば、日本で起こったことは世界でも
起こるということを示唆する。
日本人や世界の人々が、その事に真に気づかなければ、恐らくは
王仁三郎の予言通りになるかもしれない。

残念なことに、日本は圧倒的無関心の意識に支配されている。
福島原発事故という、これほど大変な事故が起こっても大勢に
ほとんど影響が見られない。
そのような国は、神も仏も見放すに違いない。
寧ろ、破滅的な天罰が予定されているかもしれない。
宇宙の法則からしてみても、そう考えるのが自然である。

そのような破滅的な惨状を経験しなければ、人類は新たな進化した
時代へと入れないのであろうか。
つまりは、本当に覚醒した人間しか残されないというのが真相か。

しかし、まだチャンスはある。
覚醒しつつある数少ない人たちが、それにチャレンジするだろう。
結果は気にしないことにしよう。
ただ、全力を尽くすのみである。

いつの日か、私にも天寿を全うするその時がやって来る。
その時には、どんな死に方をするにしても
心静かに、人知れず微笑んで旅立つことにしている。
その為にも、今という大切な時間を一生懸命に生きるしかない。


最後に、真に覚醒するとはどういう事を意味するのか。
冒頭に御紹介した記事の中にヒントを見つけました。


私は、
必要不可欠でないものがはぎ取られていくのが楽しいのだ。
本能だけを頼りに、かばい合い、生存を支える最低のものだけで、
己を捨て、みんなで生きる。


・・・・・と