今の内に過去の罪を告白し懺悔しておこう。。
ここ最近、やばそうな記事ばかり続いたので、ちょっと一休み。
何人かの方からも、私の身を案じたメッセ-ジが寄せられ、恐縮しています。
やめられない、止まらないって感じのカッパえびせんみたいなものでしょうか。
私にしてみたら、今の内に、より多くの人に真実を伝えたいって気持ちなんですが。
ブログの読者数もアクセス数もランキングも、言って見ればマボロシのようなもの。
削除されてしまえば、跡形も無く消え去ってしまいます。
例え、日に100万アクセスあろうが、次の世代につなげる事が出来なかったら、
ほとんど意味は無いと思っています。
要は、その中から、どれだけの本物の担い手が生まれるかにかかっています。
その意味では、ブログのアクセス数もツイッタ-のフォロ-数やリツイ-トの多さとかも
ほとんど関係ないと、最近では思うようになりました。
私の個人的な思い込みですが、恐らくは、今ほとんど無名の人から、日本の本当の新時代を
切り開いていける心ある人たちが登場すると考えています。
私はそういった人とのつながりが出来る事にブログの本当の意味をみる想いです。
例え、ブログが削除されたとしても、そしてこの私が居なくなろうとも、
心あるその人たちの記憶まで消し去ることは決して出来ないのです。
誰かが、真実を語らなければ、本当の意味で先に進めないと思います。
ただ、残念な事に、核心に迫れば迫るほど、人の意識は遠ざかるような気がしています。
多くの場合、目に見える現状認識の問題提起にしか反応を示さない傾向を感じさせます。
現状を従順に受け入れるという洗脳に、長年慣らされてきました。
それに隠された核心の問題提起には、潜在的に拒否反応を示すように植えつけられて
きたのだと考えています。
それとやはり、精神性に関わるものにも感応しないようになってしまっているようです。
物質的な気になるキ-ワ-ドのみに反応を示し、あとは消去するという思考プログラム。
多分、現在の教育の在り方に大きな問題がありそうです。
異議、異論を挟む人は、忌み嫌われ排除されるという現在の社会の有り様が物語って
いるように感じてなりません。
人工地震の話題が、おうおうにして敬遠されるのは、それが最大の原因かと思います。
賢い人は、その事を理解していて、その話題を遠ざけます。
かくして、本当の真実を語ろうとする人間は徐々に少なくなっていく訳です。
私は、人工地震に関しては、素朴で大いなる疑問を抱いています。
まず第一に、あの地震は、どう考えても巨大地震などでは到底有り得ないという事です。
せいぜい震度6弱の中規模か少し上程度の地震でしょう。
マグニチュ-ド9の巨大地震ならば、津波の前に大半の家が倒壊しているはずです。
皆さん、そのような映像を津波動画などで見た記憶がありますか?
まさに、人為的に捏造された巨大地震だったと考えられるのです。
次に、決定的な疑問があります。
数日内に記事にしようと考えていますが、ものすごく重要な事です。
皆さん、311の地震の津波の予兆現象は、実際の地震発生よりも先に起こっているのです。
これは、自然界では、絶対に起こり得ない、考えられないことです。
この厳然たる事実は、誰にも動かし難いものです。
これをおかしく思わないのであれば、おかしい事なんて何も存在しません。
さて、最後になりますが、私の身の危険が危ういということで・・笑。
いきなり臨死体験かよと思われたかもしれませんが、臨死体験というのは、死に間際に
みるものだそうですので、出来ればあまり経験したくもないものですが、しかし、
体外離脱なんてものには、すごく興味があります。
簡単に出来るものなら、して見たい気も致しますが、なにせ、この私は霊的資質に
極めて乏しいときていますから、死ぬまで、そんな経験は無理そうです。
だからという訳ではありませんが、せめて生きている間に一つくらい懺悔などしておこうか
と思った訳です。
自分の過去の罪を告白し、罪を懺悔するというのは、苦しいものでもありますが、
考えてみて、一番記憶に鮮明に思い起こすのは、やはりアレしかありません。
小学生の低学年の時でしたが、幼馴染の○ー君が、私の家に遊びに来た時でした。
私の父は、以前、散髪屋さんをやっていましたので、散発道具も家にあった関係で、
いわゆる、散髪屋さんごっこをしようという事になったのです。
もちろん、散髪屋さんは、この私がやることになりました。
あの当時、テレビなどでは西部劇が大流行でしたので、ある名案が浮かんだのです。
私が、○ー君の頭をバリカンで刈り上げたのは、以下の図のようなものでした。
どうやら、西部劇のインディアンのアパッチのモヒカン刈りをイメ-ジしたようです。
冗談ではなく本当の話です。
その日の晩に、○ー君の親父さんが、私の家にものすごい勢いで怒鳴り込んできました。
そして、私は罰として家の柱に何時間にも渡って縛り付けられてしまったのです (>_<)。
○ー君、あの時は本当に御免ね m(_ _ )m 。
もう許してくれているよね。
ここ最近、やばそうな記事ばかり続いたので、ちょっと一休み。
何人かの方からも、私の身を案じたメッセ-ジが寄せられ、恐縮しています。
やめられない、止まらないって感じのカッパえびせんみたいなものでしょうか。
私にしてみたら、今の内に、より多くの人に真実を伝えたいって気持ちなんですが。
ブログの読者数もアクセス数もランキングも、言って見ればマボロシのようなもの。
削除されてしまえば、跡形も無く消え去ってしまいます。
例え、日に100万アクセスあろうが、次の世代につなげる事が出来なかったら、
ほとんど意味は無いと思っています。
要は、その中から、どれだけの本物の担い手が生まれるかにかかっています。
その意味では、ブログのアクセス数もツイッタ-のフォロ-数やリツイ-トの多さとかも
ほとんど関係ないと、最近では思うようになりました。
私の個人的な思い込みですが、恐らくは、今ほとんど無名の人から、日本の本当の新時代を
切り開いていける心ある人たちが登場すると考えています。
私はそういった人とのつながりが出来る事にブログの本当の意味をみる想いです。
例え、ブログが削除されたとしても、そしてこの私が居なくなろうとも、
心あるその人たちの記憶まで消し去ることは決して出来ないのです。
誰かが、真実を語らなければ、本当の意味で先に進めないと思います。
ただ、残念な事に、核心に迫れば迫るほど、人の意識は遠ざかるような気がしています。
多くの場合、目に見える現状認識の問題提起にしか反応を示さない傾向を感じさせます。
現状を従順に受け入れるという洗脳に、長年慣らされてきました。
それに隠された核心の問題提起には、潜在的に拒否反応を示すように植えつけられて
きたのだと考えています。
それとやはり、精神性に関わるものにも感応しないようになってしまっているようです。
物質的な気になるキ-ワ-ドのみに反応を示し、あとは消去するという思考プログラム。
多分、現在の教育の在り方に大きな問題がありそうです。
異議、異論を挟む人は、忌み嫌われ排除されるという現在の社会の有り様が物語って
いるように感じてなりません。
人工地震の話題が、おうおうにして敬遠されるのは、それが最大の原因かと思います。
賢い人は、その事を理解していて、その話題を遠ざけます。
かくして、本当の真実を語ろうとする人間は徐々に少なくなっていく訳です。
私は、人工地震に関しては、素朴で大いなる疑問を抱いています。
まず第一に、あの地震は、どう考えても巨大地震などでは到底有り得ないという事です。
せいぜい震度6弱の中規模か少し上程度の地震でしょう。
マグニチュ-ド9の巨大地震ならば、津波の前に大半の家が倒壊しているはずです。
皆さん、そのような映像を津波動画などで見た記憶がありますか?
まさに、人為的に捏造された巨大地震だったと考えられるのです。
次に、決定的な疑問があります。
数日内に記事にしようと考えていますが、ものすごく重要な事です。
皆さん、311の地震の津波の予兆現象は、実際の地震発生よりも先に起こっているのです。
これは、自然界では、絶対に起こり得ない、考えられないことです。
この厳然たる事実は、誰にも動かし難いものです。
これをおかしく思わないのであれば、おかしい事なんて何も存在しません。
さて、最後になりますが、私の身の危険が危ういということで・・笑。
いきなり臨死体験かよと思われたかもしれませんが、臨死体験というのは、死に間際に
みるものだそうですので、出来ればあまり経験したくもないものですが、しかし、
体外離脱なんてものには、すごく興味があります。
簡単に出来るものなら、して見たい気も致しますが、なにせ、この私は霊的資質に
極めて乏しいときていますから、死ぬまで、そんな経験は無理そうです。
だからという訳ではありませんが、せめて生きている間に一つくらい懺悔などしておこうか
と思った訳です。
自分の過去の罪を告白し、罪を懺悔するというのは、苦しいものでもありますが、
考えてみて、一番記憶に鮮明に思い起こすのは、やはりアレしかありません。
小学生の低学年の時でしたが、幼馴染の○ー君が、私の家に遊びに来た時でした。
私の父は、以前、散髪屋さんをやっていましたので、散発道具も家にあった関係で、
いわゆる、散髪屋さんごっこをしようという事になったのです。
もちろん、散髪屋さんは、この私がやることになりました。
あの当時、テレビなどでは西部劇が大流行でしたので、ある名案が浮かんだのです。
私が、○ー君の頭をバリカンで刈り上げたのは、以下の図のようなものでした。
どうやら、西部劇のインディアンのアパッチのモヒカン刈りをイメ-ジしたようです。
冗談ではなく本当の話です。
その日の晩に、○ー君の親父さんが、私の家にものすごい勢いで怒鳴り込んできました。
そして、私は罰として家の柱に何時間にも渡って縛り付けられてしまったのです (>_<)。
○ー君、あの時は本当に御免ね m(_ _ )m 。
もう許してくれているよね。