郡山から避難したある高校生の苦悩と、そして・・・






: 私たちの安全を「危険」に売っているのだ。


→ある高校生の葛藤:根っこはどこだ 








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福島原発事故と私。そして、日本のこれから…  自由の森学園H3 M.U



原発の事を話したり考えたりすると、ただ「原発事故」というだけでも、話題が大きすぎる。また、

人によって原発事故・原発への感情や現状の認識の差が大きかったり、理解するのに専門的

な知識が必要だったりして、話しをしづらいし考えにくいと思う。なので、私は、「福島原発事故」

が私の生活に及ぼした影響から、これから原発はどうするべきかを考えていこうと思う。


今回の、福島第一原発でおこった事故で、私の中でなにかが変化した。
ずっともやもやした気持ちが頭の中にずっと存在し、先が見えない不安感、どこにもぶつけようが

ない怒りとやりきれなさがずっと付きまとっている。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ

った。

私の家は、福島県郡山市(福島原発から50km程)にあった。数年前に建てたばかりの新しい家だった。
私の部屋からは、安達太良山が綺麗にみえ、庭には、母が営んでいた子どもたちに安全な木の

おもちゃのおもちゃ屋もあり、親子連れがたくさん訪れていた。だけど、そのような環境は、3.11を

境に手放すことになった。地震で家が崩れたわけでも、津波で流されたわけでもなく、今までと同

じように存在しているのにも関わらず住めなくなった悔しさや怒りは言葉では表現できない。


郡山市は、マスコミにもあまり報道されることがないので、「そんなに危ないの?」と
いわれることが多い。だけれど、実際は、避難地域に指定されている場所と変わらないぐらい高い

放射線量なのだ。私の家も、ガイガーカウンターで計った際に、驚くような数値が出た。
そんな、場所で子どもたちに安全なおもちゃを売ることはできるのだろうか。
自分たちの健康で安全な生活は営めるのだろうか。答えは、ひとつだった。



自分たちの家族の安全を守るためには、今までの家には住めない。そして、母のおもちゃ屋は、

こどもが安全な環境でないのに安全なおもちゃは販売できない。「ここで暮らしては駄目だ。」と

いうことをまわりの人々に伝えるためにも店を閉じ、避難することを決めたのである。家族が埼玉

県に避難すると決まると同時に、私は、寮を退寮した。私にとって寮は、2年間自分の学校生活の

大きな柱のような存在だったし、寮生活でたくさんの事を学び、「嫌い、面倒くさい。」と言いながらも

自分の居場所だった大切な場所だった。自分の家と大切な場所が、私の中から奪い取られた気分

だった。


また、奪われたのは物だけではないと思う。今回の原発事故で、人と人との間に大きな溝が沢山

できた。安全だと信じ込み、高線量の福島県に住み続ける人、危険だと判断しその土地から離れた

人、そして、まだ住んでいる人に、「そこは、安全じゃないよ。危ないよ。と教える人。今まで存在して

いた人間関係がまるで嘘だったかのように、消えてしまった。私は、「あなたの住んでいる場所は、

高線量で危ないよ。」というメールの内容を、福島の友人にしてから一切連絡が途絶えてしまった。


これは、私だけの話では無く、私の家族や同じように避難してきた友人も言っていた。
原発は、人の心までも奪う。私自身、原発についての授業や話になると、むきになってしまって、

噛み付くような見幕で相手に自分の思っている事を話してしまうことが、何度もあった。


勿論、はじめから噛み付いてやろうとか嫌な気分にさせてやるなんて思ってもいないのに、自分自身

をどうしようもできない自分がいた。それに、原発事故収束の先が見えず真っ暗な未来になんだか、

原発について考えるのは、疲れてしまって話したり考えたりしたくなくなってしまった。だけど、本当に

そうなのかと考えたら、やはりきちんと考え学んでいかなければいけないことだし、自分の思いや考え

を言葉にして、声をあげなければいけないと思った。なによりも、自分自身の大切なものをこれ以上

失いたくないし、同じように大切なものを失う人が増えてほしくないからである。

だれが悪いのか、誰に責任があるのかと考えたら、もちろん電力会社や原発推進を国策として

進めてきた政府、莫大な広告費で癒着してきたマスコミ・目先のお金で受け入れた町と町民が

あげられる。


だけど、なによりも「安全神話」を信じ込み、疑う人々を見てみぬふりし、原発推進を国策としてあげ

ている政治や政治家を選び支持して来た日本の多くの有権者たちにも大きな責任があると思う。
反対ということだけ唱えていても推進している人を納得させたりすることはできないから、
推進している人たちの話に耳を傾けてみたが、推進している理由に、根拠がひとつも感じられなかった。


最近、本来なら、人や自然、命あるものを思いながら進めていくべき政治や世の中が、企業の儲け

や一部の人たちだけの都合のいいように進められていると感じる。これは、とってもおかしなことだ。
安全を手に入れるにはお金がかかる。だけれど、原発のおかげで、お金をたくさん得ている人たちが

いるのも事実だ。この社会の仕組みは、私たちの安全を「危険」に売っているのだ。

まだ、福島原発は収束していない。次から次へと放射性物質が検出される日々。これは、事故が

起きたときこうなると、分かりきっていたはずだ。いつ倒壊するか分からない4号機。たくさんの使用

済み核燃料。


そして、恐ろしいのは、福島原発は、プルサーマル発電。目を離してはいけないのだ。逸らしては

いけないのだ。これでも、まだ必要なのだろうか。電気は足りているのに、収束の光も見えないまま、

ほかの原発を再稼動させるのだろうか。絶対に止めなければならない。この地球の未来を少し考え

たら分かるはずだ。これは、福島だけの問題ではない。東京や埼玉だって水や食べ物は汚染された

ものが、流通しているし、ホットスポットがたくさんある。のんきに考えていてはいけないと思う。



世界が「脱原発」への道を進んでいるのに、どうして日本は変わらないのだろうか。
変わらないのではなく、変えられないのかもしれない。
日本の原発教育を受けてきた人がほとんどだから、危機感や現実感が存在しないのではないかと

思った。


ある意味、日本の教育は、成功なのだろう。
だけれど、変えるべき問題だから、もっと声をあげて訴えなければならないのだと思う。
私自身も、微力ながらも、自分の考えを大切にし「原発はいらない。」と声を上げていきたい。

今回は、あまり触れられなかったけれど、これからの事を考えると、新エネルギーのことや、

今とまっている原発の再稼動問題などいろんなことがあげられる。

それらをこれから考えていく必要があると思う。





南相馬市にお住まいの きっずくらぶ 様のブログから

会話・・・ ~一部のみ御紹介



途中省略 ↓



先日、南相馬市のスーパーを覗いた時の話・・・

スーパーの片隅に置かれたベンチに中学生らしき男の子5人。

ちょっと 真面目くん?っぽい・・・

ゲームや携帯をいじりながら 何やら難しい話をしていた


次世代の彼ら・・・これからの日本を背負っていく・・・

その彼らが話していたコトに 考えさせられた・・・


「どじょう内閣って何してくれんの?」


「知らねぇ~」


「言い方が変わっただけだけでしょ!中身は一緒だべぇ~」


「オマエ・・・避難先で嫌がらせとかあった?」


「あったよ!!!最悪だった・・・その話はしたくないっ!」


「ど~せ!福島は嫌われるだけだ」


「復興とかしない方がイイんじゃねぇ~」


「福島県民は福島県から出るなってコトでしょ!」


「福島じゃねぇ~よっ!ココの人は原町から出るなって事だよ」


「南相馬市って言えば その時点で嫌がられるよ!」


余程・・・避難先で嫌なことがあったんだろう・・・

大人でも嫌なのに 被害は子供達にも・・・


・・・・・・・・・・・・・・・


省略


全文はこちらから→http://ameblo.jp/kids-club-ms/entry-11025810726.html








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