おそらく、2010年8月14日は、私にとっては忘れえぬ日になりそうです。
今から65年前の1945年(昭和20年)、8月15日の日本国民がそうであったように。
8月15日の正午に流された天皇陛下の玉音放送を一体どの様な気持ちで聴いたであろうか。
玉音放送において
「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」
天皇の肉声を放送する事は憚り(はばかり)ありとして極端にこれを警戒し、
結局戦争の終結まで公式に玉音放送が行われたのはこの1945年(昭和20年)8月15日
一度きりであったそうである。
大東亜戦争」戦死者
軍人・軍属約210万人 準軍属約20万人
一般日本人80万人(戦災50、外地30)
計約310万人(「日本人」のみ)
日本国のためと信じ、戦地に赴き、心ならずも銃弾に倒れ、草葉の陰で息をひきとる時に、
名も無き兵士は一体何を想ったであろうか !
東京大空襲を始めとして、日本全国において繰り広げられた都市大空襲で逃げ惑いながら
その時、日本国民の多くは一体何を想ったであろうか !
大量殺戮そのものである原爆投下によって全身が焼けただれ、街中を両手を前にしながら、
さまようしかなかった、あまりにもむごい地獄をみた気の毒な犠牲者の方々は、
この世をどれほど呪ったであろうか !
・・・・・・・・・
・・・・・ あれから幾年月、もうすでに65年が過ぎようとしています。
これが、これからの日本の未来を語る上において原点にならなければ嘘であります。
この悲惨な歴史を抜きにしては、何も語れない。
その当時の我々の先祖であられる日本国民は一体何を想い、そして何を願ったのか。
今の日本は、不況だ、景気が悪いだのと言われながらも、市場には物が溢れかえっています。
確かに物は溢れてはいるが、溢れている分、心の中は物や金によって覆い尽くされ、肝心の善の心、
慈愛に満ちた精神といったものは隅に追いやられてしまっているような気が致します。
自殺者は毎年30000人をはるかに越えて、まるで何かと戦争をしているのと何も変わらない有様。
表面的な平和を謳歌してはいるが、心の中は一体どうなってしまっているのであろうか。
そして、心の中と同様に、この我が国ニッポンは一体どうなってしまっているのであろうか。
形の上では独立国として体裁を保ってはいるが、実質的にアメリカ属国支配は今も尚、続いており、
世界の情勢は尚一層、極めてきびしいものになるであろう事は、今更ここで語る必要さえも無い。
アメリカは建国以来、およそ2000万人の命を奪い続けている最悪の国家であり、今や戦争が
公共事業と化しており、今現在でも尚、戦争を画策する悪魔のような国に成り果てています。
おまけに日本から何百兆円というお金を巻上げ、徹底的に食い物にしている有様です。
しかし、この当たり前の事実を言っただけで反米主義者だとののしる一部のバカな日本人がいる始末。
そして近い将来において、日本はその手先となってアジアの同胞の殺戮に手を貸すことを求められ
ています。
このままいくと近い将来、国家を揺るがすような大きな国難が待ち受けているのは必定。
力も名も無き市民はただ盲従するしかないのでしょうか。
貧乏人は今までのように、ただ馬鹿をみるだけの人生しか送れないのであろうか。
私は、それらの全てに反旗のノロシをあげる事を決めました。
今まさに、たった一人の全く無力で全く無名の人間が、小さなのろしを上げようとしています。
確かに小さなノロシかもしれないが、崇高な志しだけは決して忘れてはいません。
ここに、正式に 日本の未来を語るネットワーク の設立を宣言いたします。
くもりなき 心の月を先立てて
この世の闇を 照らしてぞ行く
伊達政宗
私は皆さんに、あまり大きな事を約束する事は出来ないかもしれません。
しかし、たった一つだけはお約束出来ます。
いかなる困難にも屈せず、最後まで貫徹すると。
私がこの活動から身を引くときは、命果てる時。
しかし、その時には、多くの同志が、祖国ニッポンのために活躍してくれているはずであります。
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
吉田松陰
完
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あの時の声明文から、ちょうど1年がこようとしています。
今読み返して見ると、少し気恥ずかしい気もするのですが、とても大切な初心が綴られて
いますので、そのままの文面として、最後まで保存する事に致しました。
増して声明文ですので、余程のことが無い限り、文言を変えるのは控えるべきだと思います。
ただ、文字の色は見えにくいので、一部変えてみました。
それと最後に、画像を付け加えました。
気持ちを思い起こし、更に誓いを新たにする意味においても、再掲載する事にしました。
しかし、この1年間は本当に色々な事がありました。
紆余曲折しながら、ここまで何とかやってこれたのは、やはりブログ仲間の存在故です。
この1年間は、大した事も出来ずに、多くの人の期待を裏切ったかもしれませんが、私としては、
この世の中、そんなに簡単にいくものではないと、痛感させられた1年間でした。
ただ、読者数も増えて、アクセス数がかなり伸びたのだけは、大きな収穫でした。
何にせよ、事は一足飛びに運べる訳ではありませんので、地道にやっていく他はありません。
とは言うものの、時代は急変しており、そうゆっくりもしておれない事情も御座います。
自分に一体何が出来るのか、もがきながらも何とか希望の光を見出したいと切望しています。
私は、3.11を境に日本社会は大きく激変したと確信しています。
今までのように、ただ知識を漁って難しい政治経済や環境問題を記事にしていても駄目なような
気がします。本当に求められている世の中の姿がイメージ出来て、同時に、人間としての本来
のあるべき姿とは一体何か、という原点に想いを寄せながら、自らの本当の気持ちを記事に込
めて訴えていかなければ、決して大きな拡がりにはならないと思います。
これは、とてもシンプルな事ですが、原点でもあり一番重要な事だと思っています。それに、
ただ、もがくだけではなく、楽しみながら、人と世に尽くすブログでありたいと願っています。
どうか皆様、これからも宜しくお願い致します。